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噴水より愛を込めて
前橋駅前にあった男女の像の物語1

2023.01.13

噴水より愛を込めて
前橋駅前にあった男女の像の物語1

戦災復興記念し『「平和」と「建設」』
 JR前橋駅北口にかつて円形の噴水があった。男女のブロンズ像が高々と建ち、駅を訪れる人たちの憩いの場だった。駅周辺の再開発により、昭和の終わりとともに噴水は取り壊された。平成を飛び越え、令和の世になって復元という夢のような構想が浮上してきた。間違いなく噴水の主役であった2体の像が歩んできた数奇なドラマを振り返る。

1953年誕生、11月で満70歳

終戦から8年後の1953(昭和28)年、像は誕生した。制作したのは高崎市出身の彫刻家、分部順治(1911年~1995年)。

急速に進む戦災復興を祝福し、民間資金を活用して建立したとされる。

▲前橋駅前に置かれた男女の裸像。まだ噴水はなかった=前橋市立図書館提供

テーマは「平和と建設」。高さ五尺四寸(約164㌢)の女が「平和」、六尺(約182㌢)の男が「建設」を象徴した。女は左手を軽く持ち上げ、男は左手にハンマーを握っている。

分部は完成時、上毛新聞の取材に「ハンマーを握り第一歩を力強くふみ出し明るい世の中を自分の力で建設して行くという強くたくましい男を制作してみた」と語っている。

いつしか引き裂かれた2人

この年の11月20日、前橋駅前で除幕式が開かれた。分部と当時の上毛新聞社長、篠原秀吉の孫が幕を引き、市民にお披露目された。まだ噴水はなく、駅近くに置かれた御影石の上に建立された。

除幕式の模様を伝えた翌日の新聞の写真を見ると、男女の像は仲良く並んでいるように見える。

▲除幕式でお披露目された、並ぶ男女の像

▲駅舎全景と噴水(1981年5月ごろ)=阿部勇一さん提供

▲噴水南側からは女性の像が見える=阿部勇一さん提供

▲噴水北側からは男性の像が見える=阿部勇一さん提供

だが、その後の写真では男女は背中合わせに建ち、像よりも高い壁で遮断されている。女が駅入口側の南を、男は市街地方面の北を向いている。

男女は夫婦か恋人をイメージしただろう。愛する2人がなぜ、離れ離れになり、顔を合わせることも許されなかったのか。

この謎に迫ってみたい。

県内に残る多数の像

分部 順治(わけべ・じゅんじ)

1911年、高崎市生まれ。高崎中学校(現高崎高)-東京美術学校(現東京芸術大)。正田スタジアム南の「飛翔」をはじめ、「初代前橋市長下村善太郎翁」、赤城山総合観光案内所の男性像「想」と女性像「麗」、「熊の平駅殉難慰霊の像」など県内にも多数の作品が残る。

▲あかぎ国体を記念して建てられた「飛翔」

▲敷島公園バラ園にある「ばらの精」も分部の作品

※写真を提供いただいた阿部勇一さんが管理する「思い出の前橋駅」もご覧ください。

https://www.facebook.com/maebashi.station