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【聞きたい ポール・ニクソンさん▶番外編】
ポール・ニクソンと田中仁 奇跡の出会い

2023.11.25

【聞きたい ポール・ニクソンさん▶番外編】
ポール・ニクソンと田中仁 奇跡の出会い

2023年春、米・シリコンバレーへ視察旅行に出かけた田中仁さん(JINSホールディングスCEO)。そこにはこれからのビジネス人生を大きく変えるポールさんとの出会いが待っていた。

食事中のステーキハウスを訪問

田中さんの視察先は、Appleの本社オフィスであるApple Park。「施設全体からデザインに対する執念みたいなものを感じた。世界一の企業はここまでやるんだと感動すら覚えた」という。

「こういうデザインのこだわりを培ってくれる人間がJINSにもほしい」。シリコンバレーにある知り合いのバーのオーナーに何気なく話したところ、「Appleのあらゆるデザインを手がけてきたポール・ニクソンという男がいる。いまは会社を辞めて育児をしている」と教えてくれた。

「ぜひ会いたい」。田中さんの願いを受け、オーナーがポールさんに連絡したところ、長期バカンスから戻り、家族で、ステーキハウスで食事をしている最中だった。田中さんはその店を訪問。食事後、バーで合流し、話をすることになった。

▲Apple Parkのデザインに衝撃を受けた田中さん

当時、ポールさんはAppleを辞めて5カ月。次に自分の経験と情熱を注ぎ込むべき場所を探しているところだった。名だたる大企業からスカウトも相次いでいたが、すべて断っていた。

「HITOSHI TANAKAの名前だけは知っていた。2019年に前橋を訪れ、彼が手がけたプロジェクトを見て興味を持っていた。いつか、会ってみたいという気持ちはあった」とポールさん。

▲情熱を注ぐ先を見つけていたポールさん

前橋が二人をつないだ

結局、二人は二晩、バーで語り合うことになった。

「人生ではたくさんの人に出会う。ときに考え方や価値観が驚くほど似ている人に遭遇し、ググっと引き込まれる瞬間がある。TANAKAさんはそれが顕著だった。いろいろ話すなかで、彼は自分同様、世界や世の中を違う角度から見ている人間だということを直感した」とポールさんは振り返る。

田中さんは、ビジネスと、前橋の地域活動を両立することについての悩みもポールさんに打ち明けた。「心からやりたいことにパッションを注いできたことは素晴らしい。続けるべきだ」という言葉に励まされた。「前橋での活動があったから、ポールにも会えた。間違いではなかった」

そして、「JINSのこれから20年間のビジネスを一緒に作っていきたい」という田中さんの言葉に何の迷いもなく、「ここが自分の次のステージだ」と決意したポールさん。

2カ月後の6月、JINSの一員となった。

ポール・ニクソン

1974年、米・アリゾナ州生まれ。2005年、Apple入社。18年間、apple.comのデザインクリエイティブディレクター、Apple watchシリーズの機能や特徴の開発、製品化をするリード・ソフトウェア・デザイナーなど要職を歴任。2023年6月JINSに入社。グローバル・チーフ・クリエイティブオフィサーとなる。

たなか・ひとし

JINSホールディングスCEO、一般財団法人田中仁財団代表理事。
1963年、前橋市生まれ。88年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、2001年アイウエア事業「JINS」を開始。13年東京証券取引所第一部に上場(22年4月から東京証券取引所プライム市場)。14年、群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。

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