―ファッションに興味を持つようになったのはいつごろですか。
「中学1年ですね。忘れもしない1984年7月21日、中1の夏休みの初日、『アツミレコード』に行って、チェッカーズのファーストアルバム『絶対チェッカーズ』を買ったことを鮮明に覚えています。
チェッカーズが掲載されていた『オリーブ』という女性誌を買ったのが始まりで、ファッションとか、東京を目指すようになりました。そのオリーブはいまでも取って、いまでもバイブルです」
―チェッカーズの何に影響されたのですか。
「ファッションですね。髪型は家が厳しかったので真似しませんでしたけど(笑)。(藤井)フミヤ君の言葉で『ジーパンにTシャツが1番オシャレだ』がいまでも自分の基本で、前にその話を本人にしたら、『そんなこと言ったっけ』と言われました(笑)。
それで、やっぱりきょうもジーンズにTシャツですけど、そのころから何も変わっていないですね。主張はないんだけど、実は1番、主張が強くて。それにスニーカーを合わせるのが基本です」
―原点となる店は前橋にありましたか?
「僕は『ポイント』という店によく行っていました。
前橋って結構すごい街だったんですね、いま考えると。その時代、ファッションが買えて、音楽が買えた。1つのカルチャーのある街だったんじゃないかな。リーバイス501も買えたし、アディダスのスニーカーも買えました。
高校時代は学校が終わると家には帰らず、街に行って。『ダンキンドーナッツ』に他の高校のファッション好きが集まって、ファッションのことを語り合っていましたね。
ファッションにつぎ込むために、親に内緒でバイトもして、バレてひどく怒られました」
―どんなバイトを?
ウォークマンの部品を作るバイトです。細かい作業が好きです。1時間で70個作れたんですが、どうしたら80個作れるか、随分と考えましたね。マーキュリーホテルで結婚式のサーブもしました」
―文化服装学院に進みます。このときからデザイナーになろうと決めていたのですか。
「いや、僕の専攻は編集でした。ファッションの編集者になりたくて、一通りのことをやりました。写真から現像、レイアウトなど、いまからみると、かなりアナログなことを勉強していました。
当時、原宿に気に入った店があって、毎日たむろしていました。その店の近所のカレー屋さんでバイトしたり、夜はクラブでDJをしたり。朝までやっているので、当然、学校には行けなくて、学校から連絡を受けた母親からよく電話で怒られました(笑)。最終的にはぎりぎりの単位で卒業はできましたね」
裏原宿系ストリートファッションの旗手NIGO®
1970年12月、前橋市生まれ。文化服装学院在学中にDJ、ライターとして活躍、1993年、桐生市出身の高橋盾と原宿に「NOWHERE」を開いた。自身で立ち上げたブランド「ア・ベイシング・エイプ」は裏原宿系ストリートファッションとして世界で大ヒット。エイプ売却後はフリーとなり、「HUMAN MADE」を立ち上げる。サイバーエージェントやアディダス、JINSのサングラス部門のクリエイティブ・ディレクターも手掛け、「ルイ・ヴィトン」からコレクションも発表。ルイ・ヴィトングループの「KENZO」のアーティスティック・ディレクターに就任した。
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