interview
聞きたい
【聞きたい たかのさん3▶︎】
理・美容師、美容アドバイザー ニキビに悩みからパリへ
2021.10.27
エステという言葉を日本で確立させ、普及させた美のカリスマ。前橋で理容師となり20歳で上京した。パリでエステを学び、30歳でエステティックサロンを開設。海外の技術を融合した独自のエステを確立、業界トップに上り詰めた。苦労を重ねた故郷を愛し、お世話になった「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長を務めている。
―エステを始めるまでに、さまざまな経験をされました。最初は理容師だったとか。
「はい、母から『女も手に職をつけなさい』と言われて。定時制高校で学びながら理容学校に通いました。前橋でインターンをした後、20歳の時、上京しました。東京への憧れもありましたね。
パレスサイドビルの中の理容室で働きました。鈴木善幸元総理のお顔を剃ったこともありました。休みの日も別の理容室で働き、夜は飲食店で皿洗いのバイトをしました。お金がなかったから。
来日したビートルズをテレビで見て、『男もパーマをかける時代になる』と確信し、美容師の勉強もして資格を取りました」
-「男のパーマ」、予想通りになりました。しかし、働きづめでしたね。
「過労だったのでしょう。ニキビに悩まされ、近くの薬局に通いましたが、これが大きな転機になりました。化粧品を紹介するビューティ―アドバイザーと仲良くなり、自分もアドバイザーになりました。
全国のデパートを回って、化粧品やお化粧の仕方をアドバイスする。きれいな仕事をしてお給料をもらえる。楽しかったですね。
同僚は美人ぞろいで女優みたい。刺激を受けて、化粧やファッションを勉強しました」
―美に対する意識が高まりましたね。
私、身長165㌢で背が高かったものですから、芸能関係や銀座のクラブからスカウトされたこともあったのですよ(笑)。
でも、ニキビは相変わらず治らない。化粧でごまかすだけ。そんなとき、フランスでエステティックというのがあることを知りました。
薬や化粧に頼るのではなく、肌の汚れを取り除き、人間が持つ治癒力で健康を取り戻してきれいになるという原理らしいと。『引き算』の美学に目からうろこが落ちる思いがしました。
思い立ったら行動するのは早いのです。貯金を全部下して飛行機に飛び乗っていました(笑)」
―パリのエステ業界の人とは何かコネクションはあったのですか。
「何もありません。パリに友人がいただけでした。言葉も片言の英語だけです。友人を介して通訳の女性と知り合い、続いて美容業界の関係者と接触できと。とんとん拍子のうちに現地のエステサロンで働くことになったのです。1年近くいてエステの基礎を勉強できました。
当時のパリの女性は美に対する意識が日本とは全然違っていました。技術もそうですが、そういうことを学べたのも後々大きかったです」
たかの・ゆり
1948年1月、新潟県湯沢町生まれ。前橋女子高校(定時制)卒。理容師から化粧品のアドバイザーに転身。フランスでエステティックを学び、美顔器販売を経て、たかの友梨ビューティクリニックを開設する。「鐘の鳴る丘少年の家」後援会長。
たかの友梨ビューティクリニック(不二ビュティ)
1978年9月開業。全国に84店舗を展開。県内には前橋(スズラン別館)、高崎湯都里、太田安眠の湯の3店舗。本社・東京都渋谷区代々木。
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