interview
聞きたい
【聞きたい 遠山昌子さん▶2】珍味からお菓子へ
カリカリ梅の世界広げる
2023.05.12
創業130年「赤城フーズ」の6代目として手腕を振るう遠山昌子さん。次々と新しいカリカリ梅を世に送り出している。商品開発について、これからの夢について話を聞きました。
熱中症対策、オシャレなスイーツ
―商品開発を積極的に進められていますね。
大失敗もいくつかやらかしました。失敗しながら、徐々に狙いどころがわかってきました。お客様目線のものでないと。自社の強みを生かさないと。その基本に立ち返ったときに、生まれたのが、2009年発売の「熱中カリカリ梅」です。
―どんな経緯で?
お客様から「カリカリ梅を塩分補給のために工場で食べている」というお話しを伺ったのがきっかけです。当時、世の中は低塩ブーム。漬物業界もいかに塩を減らせるか、そればかり考えていました。そこに敢えて時代に逆行して、塩分補給にコンセプトをあてた高塩度のカリカリ梅を出したところ、それが大ヒット。マスメディアにもたくさん取り上げていただきました。
―新たなコンセプト、画期的ですね。
カリカリ梅は1973(昭和48)年に開発し、その頃は30年以上が過ぎて商品サイクルとして、「もう下降線になってしまったのでは」という話も出ていました。それが「熱中症対策」という役割により、劇的に復活したんです。「熱中カリカリ梅」は当社としても梅業界としても分岐点になったと思います。
その後、さらにカリカリ梅の世界を広げようと作ったのが「梅ジェンヌ」。濃厚スイーツカリカリ梅というテーマで、若い女性にターゲットを当てたおやつ商品です。
―おやつにというのが新しい。ネーミングも元タカラジェンヌならではです。
退団した直後は、いまの仕事もろくに出来ていないのに、宝塚の名前を使うのは嫌で、一切、出していなかったんです。10年が過ぎ、少しは会社に役立てるようになってきたかなと、自分の中で一つ踏ん切りがついたというか。「梅ジェンヌ」は赤城フーズの代名詞のような商品になり、自社のブランドイメージにも繋がりました。
10月にはホワイトチョコレートにドライフルーツ状のカリカリ梅をトッピングした「梅ジェンヌショコラ」を発売します。ひと足先に、宝塚劇場前の日比谷シャンテのポップアップで販売したところ、ファンの方を中心に大好評でした。それを逆輸入して、地元に持ってきたいと思っています。
「カリカリ梅は群馬」を全国にPR
―パッケージもかわいいですね。
カリカリ梅ってかつては珍味という役割で、パッケージもそういう風情だったんです。そのイメージをお菓子感覚に変えたくて。入社した頃から商品のパッケージを変更していきました。そんな中、若い人に人気のアーティストやアイドルの方がSNS等で「甘梅」を発信してくださったり、若い女性がヘルシーなおやつとして好んでくださっていることが判りました。早い段階で、その方向に流れを作ったのは正解だったと思っています。
―最後にこれからの夢を教えてください。
祖父がカリカリ梅を開発したとき、特許等にも興味を示さず、「群馬の名物にしたい」と考えていたそうですが、気が付いたら「群馬」がどこかに消えてしまいました。
群馬は東日本一の梅の生産地。本当にいい梅がとれるのに、ブランドが確立されていないせいで販売力が低く、産地も縮小してしまっています。
産地を守るためにも、「カリカリ梅は群馬」というキーワードを全国に広めて、群馬の梅のブランド力を上げていきたいです。それが祖父から父を経て引き継いだ私の使命だと思って、いまあらゆる場面でPRをしています。
とおやま・まさこ
1979年、前橋市生まれ。群馬大附属中―前橋女子高卒。宝塚音楽学校に入学。2000年、宝塚歌劇団に入団し、宙組の男役として活躍。2005年、退団し、家業の1893(明治26)年創業「赤城フーズ」に入社。2018年、39歳で6代目社長に就任。2児の母。
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