interview
聞きたい
【聞きたい 柳家小もんさん▶2】
一期一会を大切に
2026.06.04
柳家小もんさんは噺家になりたいという熱意が伝わり、柳家小里ん師匠の弟子入りを果たしました。下積みは長く、見習い、前座を5年務め、晴れて二ツ目に昇進します。林家つる子さんら同郷の若手落語家と「上州事変」を結成。群馬県内全市町村を巡回公演しています。
辛くも楽しかった下積み
――無事、入門が許されました。師匠の家に住み込みしたのですか。
いえ、通いです。自転車で通えるところにアパートを借りて、毎朝9時に行って、いろいろ用事をして、おまんまをいただいて。そういうことを毎日やって、二月ほどして落語を教えていただきました。
その頃は見習いが長くて、入門してから前座になるまで1年半かかりました。
見習いの間は週5でバイトもしました。マクドナルドで。師匠の急な用事で休めるようにシフトが変えられたので。仕事ぶりがよかったのか、「マネージャーにならないか」と勧誘されました(笑)。
――前座になると、どんな仕事をするのでしょう。生活も変わりましたか。
寄席で働きます。下働きです。出演する師匠の着付けをしたり、お茶を出したり。座布団をひっくり返す高座返しをしたり太鼓も叩きます。
高座を聞いていると勉強になりますし、いろいろなしきたりを学べるんです。
うれしかったですね。「前座は辛いでしょう」とよく言われましたが、好きな世界で働けるので楽しかったですね。いろいろな経験をさせていただきました。
――週休2日というわけではないでしょう。
寄席は休みがありません。毎日やっています。
給金も安い。1日寄席に入ってもらえる「ワリ」は私の頃は1000円でした。3年やると1700円に上がりました。
で、どうやって暮らすかというと、「脇」の仕事をいただいて。例えば、落語会の前座をしたり。これは自分の師匠だけでなく、他の師匠が働きぶりをみて、「こいつはいいや」と思ってもらえれば声をかけていただけます。寄席の「ワリ」とは比べ物にならないくらいお手当がよかったですね。
そんな前座を3年半やりました。
――二ツ目に昇進しますね。
「小多け」から「小もん」に改名しました。二ツ目になると、自分の落語会を開けるようになります。
落語家として仕事ができる。相撲でいえば「十両」になるようです。
群馬でも会をやりました。師匠にも来ていただいて。前橋でも何度か開きました。
上州事変で全県制覇
――「上州事変」を結成します。
粕川町の実家の菩提寺で落語会を開いた時、自分はまだ前座でしたので林家つる子姉さん(高崎市出身)と立川がじら兄さん(前橋市出身)の2人に出ていただきました。
そうしたら、ちょうど私に二ツ目の声がかかって東京でのお披露目と被ってしまいました。なので、地元の会は私抜きでやったのですが、その日の帰り道にどうも2人で話して、年季が近い群馬出身の噺家で何かやりたいね、ということになったようです。
私と三遊亭ぐんまさん(渋川市出身)に声が掛かりました。うれしかったですね。
――35市町村すべてで落語会を開くとか。
足掛け7年、これまでに20市町村を回りました。
地元でやるのはいいですね。お客さんに近く感じていただけるし、われわれもやりがいがあります。
改めて回ってみると、県内でも行ったことがない市町村が多いんですね。なので、行く度に面白い。こんな美味しいものがある、いい所があると再発見があります。歴史が好きだから、よけいに楽しくて。
――自分の芸風をどう見ていますか。
私は師匠が好きで、師匠のような切り口を目指したい。無駄な物は極力ないけれど、噺のエッセンスと言いますか、落語に強さがあると思うんですよ。それをストレートに伝えたいと思いますね。
二ツ目になり、8年になりますが、最近、特にお客さんに楽しんでいただきたいという気持ちが強くなってきました。
お客さんに楽しんでもらおうとすると、お客さんものってきてくれる。そんな経験もしました。
――最後に、将来の夢を聞かせてください。
長く続けることは目標ですね。この商売、先が長くて見通せない。何年、ここまでやればいいというのがない世界なので、ずっとやりたいですね。自分も変わってくるし、お客さんも変わってくる。同じようにはやれないし、やりたくないですね。
勉強することは尽きないです。この方向があっているのかも分からない。結局、模索しながら行かざるを得ないでしょう。
それだけに今を大事に、その日の高座、その日のお客さんを大事にしたいですね。
柳家小もん(やなぎや・こもん)1990年、前橋市生まれ。前橋粕川中-県立前橋高-学習院大文学部卒。大学時代は落語研究会に所属、委員長を務めた。2013年、柳家小里んに入門。2014年に前座、2018年に二ツ目昇進し、「小もん」と改名。本名・竹澤雅(たけざわ・まさし)。


