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【聞きたい 柳家小もんさん▶1】
親子2代 噺家の夢
2026.06.03
二ツ目として精力的に高座に出演する柳家小もんさん。教員の父親を持ち、大学では教職課程を履修しました。同時に、落研、落語研究会に所属すると、いつしか、軸足は落語の世界へ。「噺家になりたい」。反対されることを覚悟して両親に打ち明けると、意外な反応が…。
中学生で寄席デビュー
――初めて落語に触れたのはいつでしょう。
中学時代、ゴールデンウイークに母に新宿の末広亭に連れて行ってもらいました。それまでは「笑点」で見たことがあるくらいでしたね。
結構なショックでした。寄席の噺家の姿、かっこよかった。着物もそう、佇まいも。噺は面白いし。昼から晩までずっと聞いていました。
桟敷席の一番前でね、中学生の私と小学生の弟と母と。高座の師匠方は「おいおい、子供がこんな前にいるよ」っていぶかっていたかもしれませんね。でも、こっちは楽しかった。もちろん、分からないこともありましたよ。でも、それも含めてよかった。
――どなたが出演したか覚えていますか。
夜のトリがいまの林家正蔵師匠。ネタは「心眼」。目の見えない人の話なんですが、すごく印象深かった。
――その時から落語家を目指した?
いや、中学時代は剣道部でした。父が剣道をしていたこともあって。
でも、向いていなかったんですね。肝心なところで勝負しきれないんですよ。体当たりして相手が転ぶと、手を差し伸べちゃったりする。「待て」が掛かる前に。それを顧問の先生にすごく怒られました。「倒れたって一本取るんだ」と。「お人好しもいい加減にしろ」とも言われました(笑)。
――高校では。
高校になると「突き」もあるので怖くて(笑)。でも、武道は好きで和服に憧れがありましてね。で、弓道部に入りました。弓道場で楽しくやりました。
――昔から話すのは得意だったのでしょうね。
そうでもありません。高校時代に「優曇華(うどんげ)」という前高の音楽3部合同演奏会がありましてね、ギター・マンドリン部の司会をやったんですよ。曲の紹介とか。
でもね、自分に納得がいかなかったんですよ。他に面白くやるヤツがいて、袖で聞いていて忸怩たる思いをしました。上手いことしゃべれるようになりたいなという思いもありました。
教員志望 落研で挫折
――大学では落研に入りました。
優曇華の一件と中学の時、聞いた落語と繋がったのかもしれませんね。
歴史が好きで史学科に進みました。父が教員なので、自分もその道なのかな、くらいに思っていました。でも、無事に教職(課程)も挫折して(笑)。落語が面白くなっちゃったんですね。
落研中心になってしまい、2年、3年になると、噺家になれたらと思うようになりました。
――就活はしなかった?
いや、一応真似ごとをしました。セミナーに出たり。面接も何社か受けました。いいところまで行かなかったですね。本気ではないから。
3年のころから、自分が弟子入りするのならどの師匠がいいだろうと思いながら寄席に行っていました。
で、うちの師匠を見ていて、この人かなと。
――どんなところがよかったのでしょう。
うちの師匠は素直に真っすぐに落語をやっています。余計な“味付け”をしないんですね。だけど、絶妙な塩梅なんですよ。
われわれの世界だと、芸が臭いとか、派手だとかといった言い方があります。そういうのが極力少ないやり方なんです。シンプルに見えるんだけど奥が深い。
落語に登場する人物の性格がにじみでるような語りに自然となっているんです。ごくごく普通にしゃべっているようなんだけど。
そういう人の弟子になりたいなと思いました。3年の3月くらいに両親に話をしました。
――両親はどんな反応でした。
母は驚いていましたが、父は喜んでいましたね。父は小学校の文集に「将来の夢は噺家」と書いていたんですね。祖母から聞きました。
――何だか、落語の人情噺のようですね。それで、どうやって弟子入りしたのですか。
「出待ち」するんです。そもそも、募集していませんから。落語オタクなので、どうやって入門するか、知っていました。結局、出待ちなんです。
4月に師匠小里んが池袋演芸場の寄席でトリを務めたんです。これ、ちょうどいいと。
実は噺家になったら客席で落語を聞いてはいけないという不文律があるんです。本職になったら見られないと思い、10日間、毎日通ったんです。最後の日に入門願いしようと。
――長期戦ですね。
5日目まで通った時、最後の日にお願いして断られたらおしまいだと考え、そうだ、明日、いよいよ行こうと思って床屋に行きました。坊主頭にしに。自分に気合を入れるつもりでした。
6日目、出待ちしていたら、後に兄弟子になる人と2人で出てきたので声を掛けられませんでした。
お願いできたのは7日目。師匠1人で出てきたので、「師匠」「おう、何だよ」「弟子にしてください」と。池袋の路上ですよ。
――どうなりました。
いろいろ聞かれました。学習院大の落研にいることが分かると、「学習院の落研なら柳家小団治さんか」と言われました。指導に来ていただいていたのが小団治師匠で、うちの師匠の兄弟子なんですね。もともと学習院の落研は私の大師匠(師匠の師匠)の小さんが指導にきていたんです。柳家一門とは縁が深かったんです。
――それなら話は上手く行きそうですね。
後日、師匠の家に伺い、話をしました。「噺家なんて、大学出てやる商売じゃない」「売れるかどうか分からない」「親、泣かすな」と諭されました。
「それでもお願いします」と言ったら、「しょうがねえな。それじゃあ、両親を連れて来い」ということになって。
両親にもいろいろ言いましたよ。「せがれさんが1人、死んだと思ってください。それくらいの気持ちでいてくれないと困る」と両親にも覚悟を求めました。それで、晴れて弟子入りできたわけです。
柳家小もん(やなぎや・こもん)1990年、前橋市生まれ。前橋粕川中-県立前橋高-学習院大文学部卒。大学時代は落語研究会に所属、委員長を務めた。2013年、柳家小里んに入門。2014年に前座、2018年に二ツ目昇進し、「小もん」と改名。本名・竹澤雅(たけざわ・まさし)。


