interview
聞きたい
聞きたい 川田健太さん<前編>
小2で出会った琴
進路は中学で決めた
2026.05.04
前橋市出身の筝曲家、川田健太さんはこの春、洗足学園音楽大大学院を修了した。箏との出会いは小学2年のとき。奥深い音色に魅せられ、高校選びも音大受験も基準はいつも琴だった。山田流箏曲と現代邦楽を学びながら、自分の軸を形にしてきた道のりを聞いた。
(取材/阿部奈穂子)
- 目次
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- 1. 始まりは体験教室
- 2. 1音から広がる複数の顔
- 3. 大平光美さんに憧れて
- 4. 現代邦楽を学ぶ日々
始まりは体験教室
――箏を始めたきっかけは。
前橋市文化協会のふれあい体験教室です。小学校2年生のときでした。会場は前橋市総合福祉会館で、小学校で配られたチラシを見て行きました。母の友達が箏をやっていて、幼いころに音だけは聞いた記憶がありました。たぶんどこかで興味があったんだと思います。
――体験教室に行きたいと言い出したのは自分から。
そうです。小さいころから日本の文化が好きだったんです。お茶の体験会とか、箏も何かちょっとやってみたいとか。今思うと不思議な子供でした。
――体験してみて、どう感じましたか。
そのとき何を思ったかははっきり覚えていないんですけど、何かが引っかかる部分というか、響いた部分があったんだと思います。すごく本能的なものだったと思います。
1音から広がる複数の顔
――体験教室が終わっても続けたかった。
はい。どうしても続けたくて親にお願いして、講師をされていた櫻田晴波先生のところに直接習いに行くことになりました。前橋の先生です。
――今振り返ると、箏のどこに引かれていたと思いますか。
今なら少し言えます。いろんな楽器がある中で、箏は1音弾いただけですごくいろんな顔を持っている音がするんです。それが面白いと思っています。
――最初は五線譜ではなく、箏の譜面から入った。
そうです。音符は読めなかったので、箏の楽譜が入口でした。普通は五線譜から入る人が多いと思うんですけど、私は逆でした。
大平光美さんに憧れて
――「箏で生きていこう」と決めたのはいつごろですか。
中学生のときです。
――何かきっかけがあった。
YouTubeで大平光美さんという箏奏者の方の演奏を見たのが大きかったです。すごく独自の世界観があって、カッコいいなあと思いました。
――どんな世界観なんでしょう?
伝統的な、きちんとした舞台だけではなくて、ジャズバンドと一緒にライブハウスで演奏したりして。「Fly Me to the Moon 」などポップスも弾き、箏ってこんな音色も奏でられるんだと思いました。どうしても大平さんに習いたくて、中学のころ親に連れていってもらって何回か単発でレッスンを受けたこともあります。
現代邦楽を学ぶ日々
――高校は勢多農林高のバイオテクノロジー科ですね。
はい。白衣を着て、試験管で細胞を育てていました。けれど、そっちの道に進むつもりはなくて。勢多農に進んだ理由は、箏の先生の教室が近かったからです。学校が終わったらすぐ先生のところへ行ける。移動時間ももったいないと思っていました。
――箏には流派があります。川田さんは?
私がやっているのは山田流筝曲です。江戸で生まれた音楽で、歌舞伎の浄瑠璃などの影響も受けています。割と粋でさっぱりした感じです。逆に生田流は関西の音楽で、はんなりした音色なんですけど、山田流は音量も大きくて、パリッとした音が特徴ですね。
――大学では現代邦楽も学んだ。
はい。大学では現代邦楽をメーンに勉強しました。流派にあまりとらわれず、比較的新しくできた音楽で、基本的には五線譜を使います。西洋音楽的な引き出しも持ちながら、箏の音楽を広げていく感じです。現代邦楽を選んだのはやっぱり大平さんの影響が大きいですね。
かわだ・けんた
2001年、前橋市生まれ。大胡中―勢多農林高―洗足学園音楽大―同大学院卒。箏曲家、三味線奏者。山田流箏曲を基盤に、現代邦楽を軸とした表現を探る。ライブ活動を重ねる一方、神奈川県と前橋市で教室を開き、後進の指導にも当たる。
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