interview
聞きたい
【聞きたい 山﨑寛代さん<前編>】
芸能リポーター35年 コロナ禍を機にハーブへ
2026.05.23
前橋ゆかりの芸能リポーター、山﨑寛代さんは35年にわたり芸能と事件の現場を歩いてきた。FM群馬勤務を経て、ワイドショーの仕事に入った。厳しい現場もくぐったが、人の人生に関われるおもしろさがあったという。コロナを機にその関心はメディカルハーブへ向かった。植物の力に惹かれた理由を聞いた。
(取材/阿部奈穂子)
思いがけない転身
――テレビの世界に入ることになったきっかけは。
FM群馬にアナウンサーとして4年半、勤めました。そこから東京に出て、タレント事務所に入って、ワイドショーのオーディションを受けたのがきっかけです。まさか受かるとは思っていませんでした。
――具体的にはどんな仕事をしていたのですか。
番組レポーターなので、事件もやるし、芸能もやるし、何でもやる感じでした。オウム真理教の事件から芸能人の結婚、離婚、紅白歌合戦。そのうちに、だんだん芸能の仕事に特化していきました。
――芸能リポーター、大変な仕事だったのでは?
ハードでしたね。ある意味、嫌われる仕事でもありました。でも私は、親しい芸能人の方でも何かあったときにかばう質問をしようとは思わなかった。むしろ私が悪者になった方が、その人の印象が良くなるならそれでいいと思っていました。
――厳しい質問もされた。
はい、厳しく聞かないと何をやっているんだと思われるし、聞くべきことを聞かなければ、その人のためにもならない。幸せな会見は一緒に祝福するけれど、問題が起きたときは別です。
――囲み取材の現場でよく山﨑さんの姿をお見掛けしました。
慣れるまでは結構大変で。私は152㌢と小さいので、当初は前の人に全部ふさがれてしまってマイクも届かない。質問もできないという状況でした。だから、みんなが聞かないような質問を最後に一つ聞くようにと決めていました。
コロナで見えた区切り
――仕事の流れが変わったと感じたのは、いつ頃でしたか。
大きかったのはコロナです。会見がなくなって、芸能人はSNSを使って自分で発信するようになって。私たちが現場で聞く仕事がどんどん減っていきました。この文化は終わっていくんだろうなと感じました。でも、何もない年にしたくないなと思って、興味を持っていたメディカルハーブについて学び始めたんです
――なぜメディカルハーブだったのでしょう。
激務やストレスで体を壊してきたことが大きかったですね。血尿が出たり、帯状疱疹が出たり、子宮頸がんもやったし、最後はバセドウ病もやりました。私は体が小さいので、薬が効きすぎてしまうんです。だから、なるべく自然なものを取り入れたいと思っていたんです。病気になる前に整えるというか、緩やかに効いていく感じが自分には合っていたんですね。
――ハーブへの関心は、そこからどう広がっていったのですか。
アロマとか環境とか、いろいろ考えるようになって。芸能の仕事に区切りがついたら、自分で庭を持って、ハーブを育てて、その良さを伝えたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。
コロナを機にみんなマスクをするようになって、嗅覚を使わなくなったのも気になりました。子どもたちも小さい頃からマスクをして、自然の匂いに触れる機会が減っている。そういったことも心配でした。
後編は、赤城南麓に拠点を求めた理由と、現在進めている香りの庭づくりの構想について聞いた。
やまざき・ひろよ
1964年、渋川市生まれ。立教女学院短期大学卒。FM群馬に4年半勤務した後、上京してタレント事務所に所属。TBS、テレビ朝日系の情報番組などでリポーターとして活動し、芸能取材を中心に35年にわたり第一線を歩いた。近年はリポーターとして活動しながら、ハーブやアロマを学び、赤城南麓に拠点を移して香りの庭づくりに取り組んでいる。


