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聞きたい

【聞きたい 瀬谷ルミ子さん▶2】
専門は「武装解除」 
アフガニスタンで経験積む

2025.07.17

【聞きたい 瀬谷ルミ子さん▶2】
専門は「武装解除」  
アフガニスタンで経験積む

 現場で変化を起こすには、専門性が欠かせない——。瀬谷さんは「武装解除」という分野に挑み、紛争地域へ。転機となったのは26歳で渡ったアフガニスタン。日本代表として外交交渉の最前線に立った。その後、国連職員としての活動を経て、「現場を変えたい」との思いからREALsに参画し、現在は理事長として紛争予防に取り組んでいる。
(取材/阿部奈穂子)

いかに武器を手放させるか

――専門性を身につけるために、どのようなステップを踏みましたか?

 紛争解決学を学べるイギリスの大学院に進みました。幅広い分野の中で、私は専門家の少ない「武装解除」という領域にフォーカスしました。

 問題解決のニーズが高いのに、担い手の少ない分野です。そういった分野の一人目になることが、私のような凡人にも貢献できる余地があると考えたからです。

――武装解除とはどういうことでしょう。

 兵士や戦闘員から武器を回収し、除隊させたうえで、一般市民として生きていくための職業訓練や教育などを行います。

――なぜそこに魅力を感じたのですか。

 紛争のあと、平和になりつつある世の中では戦闘員は必要なくなりリストラされます。でも武器を持った兵士が収入も得られないまま何万人もいる状態では、生活に困窮して治安を脅かすかもしれない。そのため、いかに武器を手放させるかが、次の平和を築く鍵になるのです。

▲兵士を日常の生活に戻す

26歳で担った外交交渉の最前線

――大学卒業後はどんな道へ進んだのでしょう。

 NGO職員としてルワンダで実務経験を積んだのち、24歳でシエラレオネの国連PKOで働きました。

 そんなある日、日本がアフガニスタンで武装解除を担当することになり、大使館で担当する要員として私に声がかかったんです。26歳で、外務省の外交官としてアフガニスタンへ渡りました。カルザイ大統領と週3回会い、各国の大使や軍の司令官たちと日々交渉を行うような仕事を任されるなんて、本当に想像もしていませんでした。

――アフガニスタンでの仕事は激務だったそうですね。

 武装勢力との交渉、武装解除の戦略設計、現地との調整……。とにかくすべてが初体験です。日本人として、外交交渉の現場に立ち続けることがどれほどの意味を持つのか、日々痛感しました。

――その経験から、学んだことは?

 日本という国の印象が、現場で働く自分の見られ方にも大きく影響するという現実です。そのうえで、日本の立場や役割を自分のこととして捉えるようになりました。

 そのほか、政治的なプロセスの中で、様々な思惑をもつ勢力や他国の本音を見極めて、共通の利害を見出していく必要もありました。

――その後、国連職員となりましたが、2007年には国連を離れて、日本の認定NPO法人「REALs」へ。なぜですか?

 国連で働けば大きなスケールの仕事ができると思っていましたが、実際には予算をかけていても非効率なことが多く成果が出にくい。これが自分が人生をかけてやるべきかと限界を感じていたんです。また、周囲から「日本がどのように平和になったか教えてほしい」とよく言われるのに、それが十分にできていないとも感じていました。

 私がやりたいのは国連改革ではなく、現場を変えること。そのために、日本で唯一、紛争予防を掲げた認定NPO法人「REALs」で働こうと決めました。

▲アフガンの重火器集積所で

せや・るみこ

1977年、桐生市生まれ。前橋女子高―中央大学総合政策学部卒。英ブラッドフォード大紛争解決学修士課程卒。ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネなどで国連PKO、外務省、NGO職員として勤務。2007年、認定NPO法人REALs(旧日本紛争予防センター)事務局長、2013年から同理事長。2011年、Newsweek日本版「世界が尊敬する日本人25人」、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2012準大賞。2022年、米NEW YORK TIMES「世界に足跡を残す女性10人」選出。

 

認定NPO法人「REALs(リアルズ)」

ホームページ https://reals.org/index.html