interview
聞きたい
【聞きたい 瀬谷ルミ子さん▶1】
前橋女子高時代に見た難民親子の写真
単身ルワンダへ
2025.07.16
「世界が尊敬する日本人25人」(Newsweek日本版)、「世界に足跡を残す女性10人」(米NEW YORK TIMES)に選ばれた瀬谷ルミ子さんは前橋女子高出身。現在は紛争を予防し平和を実現する認定NPO法人「REALs(リアルズ)」理事長を務める。原点は高校3年のときに目にしたルワンダ虐殺の新聞写真だった。無力感と挫折を経て、「現場で変化を起こせる人になる」と覚悟を決めた歩みのはじまりを語る。
(取材/阿部奈穂子)
人生変えた1枚の写真の衝撃
――紛争に関心を持ったきっかけは何でしたか?
前橋女子高3年のとき、地元紙の上毛新聞でルワンダ大虐殺についての記事を読み、難民キャンプで撮影された親子の写真に目を奪われました。死にかけている母親を起こそうとしている幼い子ども。「こんな理不尽があっていいのか」と憤りと辛さが同時に襲ってきて…。
当時、日本もバブル経済が崩壊して不景気で、政治家の汚職が報道されるなど閉塞感が漂っていた時代です。自分たち一般市民が権力のある人たちに振り回されている構図が、遠く離れたアフリカの状況と重なって見えたんです。世界で起きていることを、自分自身の問題として初めて考えるようになったのが、この時でした。
――どんな家庭環境で育ったのでしょう。
群馬県桐生市新里町の出身で、今でもクマが出るような田舎で育ちました(笑)。家は裕福ではなく、両親から大学に行けとも、勉強しろとも言われたことはありません。運動が得意なわけでもなく、人見知りで目立たない性格でした。自分に取り柄がないということをコンプレックスにしていた子どもでした。
――高校時代の自分を振り返って、どんな思いがありますか。
自分にはこれといった取り柄もなく、社会で必要とされるには「人と違う何か」がなければいけないと、漠然と思っていました。でも、その「何か」が何なのかは分からず、モヤモヤした気持ちを抱えていたように思います。先ほどお話した、ルワンダ虐殺の写真がきっかけで紛争地で働くことを志しました。
――大学進学はどのように決めたのですか?
国際問題や紛争への関心が芽生えましたが戦争や平和を教えている大学は当時なかったので、英語力を磨きながら広く社会の課題解決について学べそうな中央大総合政策学部へ進みました。
大学では部活やサークル活動はせずに、普段はアルバイトをしてお金を貯め、長期の休みに語学留学に行くなどして英語力と海外経験を積むことに集中しました。
▲瀬谷さんの著書「職業は武装解除」
身一つで変化を起こせる人になる
――大学生のときにルワンダに行かれたと聞きました。
はい。書籍は限られていたこともあり、大学3年になって、どうしても現地の様子を知りたくて、ひとりでルワンダへ行きました。
英語や歴史を勉強し、「現地の人々の話を聞いて癒すことができるかもしれない」と思っていたんですが、実際はまったく無力でした。
――現地での体験はどのようなものでしたか?
「家族も友人もすべて殺された」、壮絶な体験を語ってくれた人に、私は「大変でしたね」としか言えなかった。語学も経験もスキルもない自分を痛感しました。そのときの無力感と挫折感は、今でも鮮明に覚えています。
――それでも、その体験が転機になったんですね。
はい。自分が無力だと分かったからこそ、「この人たちの力になりたいというからには、そのための専門性が必要だ」と本気で思ったのです。では、自分に足りないものは何なのか、どうやったらその力を身につけられるのか。そこからが本当の出発点でした。
――どんな覚悟でしたか?
「どこの大学を出たか」「日本でどんな実績があるか」といった肩書きが、現場では何の役にも立たないことを痛感しました。だから、「身一つで放り込まれても、そこに変化を起こせる人間になる」ことが私の目標になったんです。
せや・るみこ
1977年、桐生市生まれ。前橋女子高―中央大学総合政策学部卒。英ブラッドフォード大紛争解決学修士課程卒。ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネなどで国連PKO、外務省、NGO職員として勤務。2007年、認定NPO法人REALs(旧日本紛争予防センター)事務局長、2013年から同理事長。2011年、Newsweek日本版「世界が尊敬する日本人25人」、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2012準大賞。2022年、米NEW YORK TIMES「世界に足跡を残す女性10人」選出。
認定NPO法人「REALs(リアルズ)」
| ホームページ | https://reals.org/index.html |
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