interview
聞きたい
【野村たかあきさんの思い出】
藤井浩さん追悼文
「でくの房主人が願ったこと(下)」
2023.11.10
ライフワークとなった「鬼」を題材とする木彫作品や木版画、絵本もまた、反骨精神に貫かれている。しかし、鬼に限っては、こだわってきた「普通」の枠をはずれることもしばしば起こる。存在感のある鬼たちは、『ばあちゃんのえんがわ』などに登場する人たちよりも自由に、自在に描かれているのだ。なぜ鬼は例外だったのか。1990年出版の木版画集『元鬼がなにより』(朱鷺美術)あとがきなどによれば、鬼を彫り始めたのは二十代で初の木彫による個展を開いたときから。これに合わせて、初めて木版画に取り組むことになり、風神雷神の子をイメージして子鬼たちを描く木版画第一作「風神の子雷神の子」を完成させた。
ユーモラスな、相手を安心させる鬼
自由奔放で気弱な人間的魅力備える
鬼は架空の存在であり、古来、多様な表現をされてきた。このため野村さんも自由に想像を広げることができ、独自の視点でとらえた鬼を形にした。
それは、どんな鬼なのか。鬼といえば、通常はおどろおどろしい悪の象徴として描かれることが多かったが、そのイメージが強ければ強いほど、野村さんはそうではない、ユーモラスな、相手を安心させる鬼を描きたいと思ったのだという。
〈人間らしい鬼、やさしい鬼、善鬼」の姿が浮かんできます。人間になりたい鬼だってきっといるだろうと。(略)そんな鬼たちと出会いたい。その事は、ひとりひとりのすばらしい人たちに宿ったすてきな鬼たちに出会いたいという事です〉(同書あとがき)
この言葉通り、ミュージカルになった民話絵本『おにころ』(1988年、新町)をはじめ、木彫や版画でさまざまな鬼を創り続けた。どれも自由奔放で時に気弱な、人間的魅力にあふれた存在だ。それは野村さん自身の心であり、分身でもあった。
異色な鬼の詩画集もあった。野村さんの版画と岡山県岡山市の詩人、西山はるさんの詩で構成する『あかりをともしておとずれをまっている』(1998年、でくの房)は、人間の情を深く掘り下げた詩とやさしい鬼を描く野村さんの世界という、異質とも思われるもの同士が響き合い、これまでにない鬼の情愛を描く作品となった。
野村版「波宜亭・萩の餅」の世界
心地よく秘密めいた空気を創出
そうして野村さんが生み出した鬼は、活躍の舞台を大きく広げてきた。そのことを実感させられた経験がある。
2001年のことだ。波宜亭倶楽部という市民団体(現在はNPO法人)が、明治・大正期、前橋市民に親しまれた「萩の餅」を復元することになり、その包み紙の絵を野村さんにお願いした。
萩の餅は、臨江閣近くに大正11年まで営業していた茶店、波宜亭で作られ、販売されていた前橋の名物。『前橋繁昌記』(明治24年発行)に「臨江閣を東に下る處にありて名代なり」と紹介されている。波宜亭は萩原朔太郎の郷土望景詩のなかの恋愛詩「波宜亭」にうたわれたことで知られる。
包み紙の参考にと、波宜亭・萩の餅をめぐる物語を詳しくお話しした。そのときの、身を乗り出して聞く野村さんの目の輝きが忘れられない。
完成した絵を見て、大きな衝撃を受けた。期待していたイメージをはるかに超える野村版「波宜亭・萩の餅の世界」がそこにあったのだ。
絵の左下に〈波宜亭のとなりの大きな樟(くす)の木の葉陰で萩の餅を喰う風神の子と雷神の子どもたちの図〉という野村さんの説明がある。
風神の子と雷神の子とは、木版画第1作で描いたのと同じ子鬼たちのことだ。とっておきの鬼だったのだろう。一人一人の生き生きとした表情が実にいい。描かれたクスノキは樹齢130年ほどになり、同じ場所で今も見事に葉を茂らせている。
朔太郎の詩の世界、波宜亭を訪れた多くの文人たち、行き交う妖怪や精霊、波宜亭創業者の謎めいた生涯などを想像させ、この一帯の、心地よく秘密めいた空気を伝える見事な作品だった。
人と人をつなぐ交流の場づくり
人間の普遍的な営みが息づく
73年の生涯で、驚くほど幅広い活動を続け、たくさんの仕事を残した。木彫壁画、版画モニュメント、学校校舎内の木彫モニュメント、紙芝居作り、落語、行事食を扱った絵本などにも意欲的に取り組んだ。手ぬぐいとタオルを使った「手ぬた人形」の実演も忘れられない。
表紙、挿絵を担当した『絵本 上毛かるた』(2021年、群馬地域文化振興会)では、表紙に子供たちが鶴の背に乗っている絵を描き、その豊かな発想に目を見張らされた。
明るく包容力のある人柄が慕われ、さまざまな分野の人たちをつなぐ交流の場を作ることにも力を尽くした。
「面白いから、来てみませんか」。野村さんからそんな誘いを受けると、たて込んだ仕事を抱えていたときも迷わず出掛けた。そこで、やんちゃな鬼たちに何度出会い、刺激を受けたことだろう。
今、世界各地で深刻化する紛争により、多くの人々の命が奪われ、日常の生活が無惨に破壊されている。そんな現実を前にして、野村さんの「ずっと、普通のものをつくっていたい、という思いがあった」という言葉は、いっそう重く響く。膨大な作品の数々には、人間の普遍的な営みが息づいているのだ。
野村さんを失って、そこにできた空白のあまりの大きさに唖然とする。せめて、残された作品が伝える、日なたぼっこできることの大切さを語り継いでいかなければと思う。