interview
聞きたい
【聞きたい 町田恵美さん▶1】自分が飲みたい酒を造る
オーナー杜氏に移行
2023.05.17
1883(明治16)年、前橋市駒形町に創業した「町田酒造店」。140年の歴史を持つ老舗の杜氏として活躍する町田恵美さん。かつては東京・日本橋にある商社に勤めるOLだった。会社を辞めて家業に入ると決めた理由、当初の苦労談を聞きました。
跡取りとして育てられ、葛藤
―昔から家業を継ごうと思っていたのですか?
三人姉妹の長女なので、幼いころから実家の跡取りとして育てられました。その一方で、「汚れた女性を神聖な蔵には入れない」、そんな風にいわれていた実家がいやで、大学卒業後は東京に飛び出しました。「東京ラブストーリー」みたいなトレンディードラマに憧れて、商社に入社して。いまの主人と出会いました。
まあいまとなっては、三人姉妹の中で、私しか日本酒を飲める人がいないので、私が継いで良かったのかなあと。飲めなくても家業は継げるし、酒は造れるんですが、絶対に飲めた方が楽しいので。
―家に入ったのは何歳の時ですか?
25歳です。番頭さんの具合が悪くなり、母から「帰ってきてほしい」と頼まれまして。不安もありましたが、当時、婚約者だった主人が一緒に入社してくれたのは心強かったです。
―当初は大変だったでしょう。
父が社長で上司。そのあたりの葛藤が大変でした。ワンマンな父だったので、どういう風に接したら良いのか、わからないまま世代交替したというか。仕事となると家族という関係は難しい。父と母と夫と私、4人での経営だったので。子育ては手伝ってもらえて楽でしたが、その分、仕事は大変でした。従業員もこの「町田家劇場」を見ながら働いていて、恥をさらすという感じで(笑)。
男性社会というのも厳しかった。当時、群馬の酒造業界には女性がいなかったので、全国の酒造業界の女性の会に入って、元気をもらわないとやっていけなかったです(笑)。
自身で営業 売りたい酒を造りたい
―勉強の仕方は?
酒造りの学校も出ていないし、修行もせずに家に入ったので。教科書を読んだり、当時、家に来てくれていた越後杜氏の親方や県内の蔵元さんに教えてもらいながら、勉強しました。失敗の連続で。いまも失敗しますが(笑)。
―ご自分で営業することもあったのですか。
お酒を持って、スーパーや小売酒屋さん一軒一軒回って、「置いてもらえますか」って。問屋さんと同行販売したり。マッチ売りの少女みたいですよね。
そんななかで思ったのが、やっぱり自分たちが飲みたい、売りたいお酒を造りたいってこと。それで、以前は親方が造っていたんですが、オーナー杜氏というシステムに移行していったんですね。
―オーナー杜氏とは、酒蔵のオーナー自らが杜氏の役割を担い、酒造りを行うことですね。
はい。酒造店にとって親方はシェフみたいな感じなんです。親方が「こうだ」というとそっちのお酒になっちゃう。「こういうお酒がいま流行っていますよ」っていっても、首を縦に振ってくれないこともあって。売るのはこちらだから、飲みたい、売りたいお酒を造りたかったんです。
そこで、親方が引退するまでに基礎的な部分は教えていただいて、引退してからは、自分たちで造りたい酒を造っています。
まちだ・えみ
1975年、前橋市生まれ。木瀬中―前橋女子高―昭和女子大短期大学部卒。東京で商社に3年間、勤務した後、2000年、家業の1883(明治16)年創業「町田酒造店」に入社。2005年、杜氏となる。2012年、37歳で晶也さんと共に5代目就任。1児の母。