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聞きたい

【聞きたい 町田恵美さん▶2】
チームワークが味を変える

2023.05.18

【聞きたい 町田恵美さん▶2】
チームワークが味を変える

家業である創業140年「町田酒造店」の杜氏として活躍する町田恵美さん。ご主人とともに5代目に就任したときの気持ちやこれからの夢を聞きました。

幸せに嫁いでほしい、母心

―入社後、自分たちで飲みたい、売りたいお酒を造る、と決めて動き始めました

はい。全国で売れてるお酒をとことん買って飲んで、流行りを知り、これは好きかどうか、売りたいかどうかを検討しました。

父の時代は昔ながらの普通酒とかレギュラー酒をメーンにしていたんですが、それは違うなと。自分たちが20代だったので、吟醸系の香りがあるものとか、フレッシュな生酒とか、ドスっと後に残らない、フルーティーなお酒が飲みやすかった。そういうのを目指そうと決めまして。新しいブランド「町田酒造シリーズ」を立ち上げて、造り始めたのが2003年、28歳のときでした。

―いまは大人気ブランドになりました。当初は?

スーパーや小売店を回って置いていただいたものの、なかなか動かなくて。あるとき、東京で展示会をやったんです。すると全国から、お客さんが来るんですよ。いまはSNSで発信できるんですが、当時はないので、実際に飲んでいただき、「これは美味しい」ということで、取引先が全国にできて、広まっていって。それでやっと「町田さん家のお酒って売れてるんだね、雑誌にのってたね」という感じで、群馬でも売れるようになりました。逆輸入って感じです。

いまは北海道から九州まで、海外にも行っています。

―どんな気持ちですか?

自分たちの子どもがお嫁に行くみたいな感じ。最後まで美人でいてほしいなあ、美味しく飲まれてほしいなあと。賞味期限が近づいて安売りみたいになっていると「えー、そんなつもりでお嫁に出したんじゃないのに」みたいな。うちの子は海外にお嫁に行っている子も多いんですが、フレッシュな生酒が多く、冷蔵で管理していないとへたっちゃうので。酒屋さんの売り場の状態もチェックして、出荷するようにしています。

いまがベストメンバー

―お父さまが4代目、恵美さんご夫妻が5代目。代替わりされたのはいつ?

主人は私と同じ年なんですが、37歳で社長に就任しました。そのとき、父は67歳。この業界は70歳以上まで社長をやる人が多いんですけれども、67歳で会長になってもらって。私たちが5代目を継ぎました。30代で社長というのは業界では早かったですね。

―社長となるとまた違った苦労もあるのでは。

人事は大変でした。お酒が好きで入社してきても、「水洗いとか中腰の作業の連続は嫌」「蔵の中の匂いに耐えられない」などと言って辞める人もいる。いま残っている方はみんな長くて、これまでのベストメンバーだと思います。酒造りはチームワークが一番大事なので、コミュニケーションの強化には力を入れています。

―経営面で変えたことはありますか?

父は一合瓶から一升、特殊な二升五合、樽まで、いろいろやっていました。どこにでも置いてもらえるようにとアイテムを増やしていたんです。でも、それは昭和のやり方。私たちは逆にターゲットを絞って、ココとココに卸すと決めました。アイテムも父の時代は30個くらいあったんですが10個ぐらいに絞りました。そうすると効率も良くなるし、在庫も少なくなるし。管理も楽だし。私たちみたいな小さな蔵はそういう形で生き残っていくのが良いのかなあと。

―これからの目標を教えてください。

群馬でうちだけが売れようとあがくのではなく、群馬の地酒全体がレベルアップして全国にいかないと、うちも伸びません。ここもチームワークで、横のつながりをしっかり築いて、群馬を山形や福島などに負けない酒どころにするのが目標です。

▲前橋新聞me bu ku 第8号では赤城フーズの遠山昌子社長(写真右)と対談した

まちだ・えみ

1975年、前橋市生まれ。木瀬中―前橋女子高―昭和女子大短期大学部卒。東京で商社に3年間、勤務した後、2000年、家業の1883(明治16)年創業「町田酒造店」に入社。2005年、杜氏となる。2012年、37歳で晶也さんと共に5代目就任。1児の母。

【聞きたい 町田恵美さん▶2】チームワークが味を変える(N)

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