聞きたい櫻井さん3▶︎
「群馬の代官山」川原へ
「埋蔵金を掘り当てたぞ」

「ハートマーケット=心の市場」。何と心に染み入る素敵な名前だろう。代表の櫻井明さんは天からの授かりものというこの言葉を28年間、大切にしている。経営者として決して順風満帆ではなかった。運に恵まれず、人に裏切られ挫折も味わった。それだけに「ハート」を大事にしている。わずか8坪で始まった店は全国60カ所以上に広がった。

―ハートマーケットを創業した前橋市中心街から高崎の駅前へと移転しました。どのような経緯があったのでしょう。
 「前橋の街中で2店舗展開し、高崎駅前のビブレにも出店するなど順調に拡大しましたが、数年後に危機に見舞われました。そこで泣く泣く店舗をビブレに集約したのです。2000年です。
 これが当たった。ビル内に7店舗出すことになり、売り上げ1位になりました。
 ところが、ビブレを運営する会社が2001年に倒産してしまい、出ざるを得なくなった。苦い経験です。一極集中のもろさ、怖さを味わいました。
 それで、高崎のハナミズキ通りにあるハンプティダンプティに無理やり間借りして店を出すことになりました。貫井哲夫社長とは仲良かったので。そうしたら、成功したんですね。これで郊外で勝負しようと決意しました」
 ―翌2002年、前橋に戻ります。川原に旗艦店を建て、本部も置いた一大拠点としました。
 「創業地である前橋に返り咲きたいと、ずっと思っていました。リベンジしたいと。
 それで、いろいろ立地を考えていたのですが、川原が『群馬の代官山』に映ったんですね。
 代官山に『ハリウッドランチマーケット』という店があり、あこがれの店でした。『わざわざ店』なんです。この店があるから、少し不便な場所にあるけど、わざわざ出かけるという。魅力ある店で、素敵な商品が並んでいます。
 川原でそんな店になりたいと、進出する気になったのです。ジンズの田中仁社長も代官山に店を出してから、ここに来ましたよね」
 ―飛躍の足掛かりになりました。
 「命懸けでしたから。立地は交差点の角でいいのですが、すごく高かった。何度も足を運び、土と会話して決めました。ここにしようと。実は融資が決まらない内に店舗の建築を始めちゃったんです。友人が建築屋さんでしたので。金融機関には怒られましたけど、何とか話をまとめました(笑)。
 オープンしたら化け物みたいな店になりました。初日の売り上げが800万円。10日で2000万円売り上げた。1年後の1月2日の初売りは何と1000万円。年間売り上げは4億円に達しました。
 店から赤城山がきれいに見えるんです。俺は『赤城山の埋蔵金を掘り当てたぞ、糸井(重里)さん』って叫びましたよ(笑)。
―郊外に進出し、多店舗展開します。
 本格的に郊外型店舗に力を入れていきました。さらに、ショッピングセンター(SC)から話をいただき、進出するようになったのです。第1号店が太田。苦労もありましたが、全国展開を可能にしました。

さくらい・あきら

1963年5月、安中市生まれ。農大二高卒業後、国鉄に就職する。洋服店勤務を経て起業する。2度の失敗を経て、ハートマーケットを創業。前橋市中心街に8坪の店を開く。


ハートマーケット

1993年11月創業。前橋、高崎市の中心街に出店から郊外型に移し、2002年、前橋市川原町に旗艦店を出店する。全国展開を加速させ、店舗数は全国に60店以上ある。売上高は16年度に100億円。

関連記事