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前橋空襲の記憶を後世に
資料館が4月28日開館
2025.04.23
市街地の8割が焦土と化し、535人の尊い命が奪われた1945(昭和20)年8月5日の前橋空襲の悲劇とたくましく復興した歩みを伝える「前橋空襲と復興資料館」が4月28日、昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館)に開館する。戦後80年を迎え、戦争を体験した人が少なくなる中、空襲を後世に伝え、平和な世界を願う拠点とする。報道向けに4月23日開かれた内覧会を取材した。
8月5日は灰の町
入口には「前橋よいとこ糸の町 8月5日は灰の町」と書かれている。米軍が空襲を予告して前橋市内にまいたビラの一文。「戦争を知らない子供たちがこれを見てどういう意味なのか考えてもらうためです」。案内役を務めた資料館検討委員会の手島仁委員長はこう説明する。
▲空襲を題材にした小学6年生の手紙
入館して最初にあるのが昭和11年に当時の桃井小6年生が書いた「もし前橋が空襲されたら」と題した作文。これもまた「同じ6年生が読んでどう感じるか」と想起させるため、導入展示にしたという。
館内は①開館までのあゆみ②資料でみる戦争とくらし③前橋空襲④復興⑤慰霊⑥図書室(町田文庫)-の6ゾーンに分かれる。
民間が作り閉館された「あたご歴史資料館」と「ぐんまマチダ戦争と平和資料館」から寄贈されたものに加え、開館のために新たに提供を呼び掛けて入手した貴重な資料が並ぶ。
▲空襲の予告ビラ。右下に前橋の文字がある
前橋空襲に関しては豊富な資料とともに、30分の映像で詳しく紹介する。空襲を体験した市民の生々しい証言も編集されている。
お国のために大事だったミシンを持って逃げ遅れて犠牲になった女学生を供養するために建立した観音像の供養文、空襲で犠牲になった人の名前や写真、遺品も掲示されている。
▲空襲え犠牲になった人の名前と写真が掲示されている
出征兵士の手紙、スケッチ
幼子を残して出征した兵士が家族に送った手紙は子供の成長を喜んだり、母親の言うことを聞くように諭すなど、会うことのかなわない家族への優しさが伝わる。最後の方は検閲のため一部が黒塗りされた手紙が増え、死を覚悟した手紙もあった。
▲出征兵士から家族に送られた写真
戦線スケッチを描いた住谷完爾さんは戦後、スケッチ集を制作、戦死した戦友の家を訪れ、遺族に手向けた。手島さんは「戦争で生きて帰った人は何らかの形で区切りを付けたかったのだろう」と心情を読み解く。
▲住谷さんが描いたスケッチ
兵隊の無事の帰還を願った千人針や戦時下の暮らしを偲ぶ衣装や日用品、戦意高揚を図るポスターや雑誌が並ぶ中、女性用のファッション誌があった。タンスに眠っていた衣類を再利用しておしゃれに気を配るたくましさもあったことがうかがえる。
▲戦時下の暮らしがうかがえる資料
▲女性はたくましくも美しさを求めた
展示の最後は兵隊経験があり、戦後は小学校長を務めた島田兼之さんの言葉。「戦争をすると人間は汚くなる。自分の命のために引き金を引かざるをえない」と強く訴えている。
▲島田さんの言葉。しっかりと読みたい
資料館は戦後70周年の2015年から、市と市民が「前橋空襲を風化させない」との意識を共有しながら展示内容、構成を協議してきた。
手島さんは「専門家が語るのではなく、市民が語り継ぐ市民参加型の施設。空襲の悲劇を伝えるとともに、平和を続けるためにどうすべきか考えたい」と来場とともにさらなる資料収集に協力を求めている。
▲展示資料を解説する手島さん
前橋空襲と復興資料館
- お問合せはこちら
- 027-898-6992
| ・会場 | 昌賢学園まえばしホール(前橋市南町3-62-1) |
|---|---|
| ・開館 | 10時~17時 |
| ・休館 | 火曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始 |
| ・入館 | 無料 |


