study
学びたい
岩佐中佐 語り継ごう
12月7日に追悼式典
2025.11.09
太平洋戦争の発端となったハワイの真珠湾攻撃で特殊潜航艇を率いて戦死し、「軍神」と称えられた前橋市出身の岩佐直治中佐を追悼する式典が12月7日、岩佐家の菩提寺である松竹院で開かれる。岩佐中佐を再認識し後世に語り継ぎ、永遠の平和を願おうと、主催者は多くの市民の参加を呼び掛けている。
時代に翻弄された「軍神」
岩佐中佐は真珠湾での決死的な武勲で神格化され、前橋市の実家には東条英機首相が弔問に訪れた。岩佐を描いた映画『命を捨てて』には当時の前橋中の全生徒が出演、戦意高揚に利用された。
戦局が悪化すると様相が変わり、「前橋空襲は軍神の故郷だから狙われた」「広島に落ちた原爆も前橋が候補だった」と流言飛語も飛び交った。
戦後は隠される身となった。GHQに見つかるのを恐れて岩佐の胸像や肖像画は姿を消し、歴史教育で語られることはなくなった。
▲板垣清平が制作した岩佐中佐の胸像
▲松竹院で読経、焼香、献歌
追悼式典は命日である12月8日に墓参りをしていた有志が2023年に「岩佐直治中佐を顕彰する会」を発足させ、毎年開いている。今年は参加しやすいように1日繰り上げて日曜日とした。
式典では松竹院の明峯慧仙住職と顕周副住職が本堂で読経する。
▲遺影に向かって読経する住職=2024年12月
閉式後、岩佐中佐の墓前で顕彰する会が用意する線香と花を供える。声楽家、高橋季絵さんが慰霊のため、『故郷』など3曲を献歌する。
事前に連絡することなく参加でき、香典、供花は受け付けない。
▲松竹院境内にある岩佐中佐の墓
▲小学生時代に作った句の碑。墓にある
顕彰する会の発起人の一人、狩野嗣男さんは岩佐中佐らが真珠湾に見立てて密かに訓練した愛媛県伊方町に「九軍神慰霊碑」があることを指摘。「前橋で岩佐中佐の存在が忘れ去られそうになっている。『お国のために』と若くして命を落とした男がいたことを知り、平和の大切さを改めて考える場として、政治信条を超えて多くの市民に追悼してほしい」と話している。
岩佐直治(いわさ・なおじ)
1915(大正4)年、前橋市生まれ。旧制前橋中(現県立前橋高校)を卒業、海軍兵学校に進む。1941(昭和16)年12月8日、大尉として5隻の特殊潜航艇を率いて真珠湾に潜入、米軍艦艇への攻撃を試みるが成功せず戦死する。享年26。2階級特進して中佐に昇格、戦死した部下とともに「九軍神」と讃えられた。
岩佐直治中佐 追悼式典
| ・日時 | 2025年12月7日(日) 14時~15時 |
|---|---|
| ・会場 | 松竹院(前橋市本町3-17-12) |


