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聞きたい

【聞きたい 日沼大樹さん1▶︎】
前橋シネマハウス 支配人になるまで

2022.06.22

【聞きたい 日沼大樹さん1▶︎】 
前橋シネマハウス 支配人になるまで

前橋市街地唯一の映画館として、ミニシアター系の作品のほか、シネコンで上映終了となったビッグタイトルや子ども向け映画を流す「前橋シネマハウス」。支配人の日沼さんに、映画業界に入った理由、前橋シネマハウスの誕生から今後までを聞いた。取材/阿部奈穂子

映像コンテンツの底力を知った
「きみはいい子」

―子どもの頃から映画は好きでしたか。

「我が家は映画一家。1974年に、祖父が群馬共同映画社を創業し、その後、父も経営に参加しました。私も小学生の頃から、上映の手伝いなどをしていたのですが…。

小3で始めた野球に夢中なり、それ以降、映画には興味はなかったですね。大学卒業後は専門学校の広報の仕事に就きました」

―それがなぜ映画の世界に入ることになったのですか。

「祖父が亡くなり、群馬共同映画社を継ぐかどうか、迷っていたときに、1本の映画に出合ったのがきっかけです。2015年に配給された『きみはいい子』。

子どもの虐待やいじめ、独居老人など社会問題を描いたオムニバス映画です」

―その作品が気持ちをどう変えたのでしょう。

「映画館での興行はあまりうまくいかなかった作品なのですが、父を手伝って県内各地のホールで投影したところ、『感動した』『考えさせられた』と、大きな反響を呼びました。行政や児童相談所からも『上映してほしい』というオファーが舞い込みました。

映像コンテンツの持つ底力を思い知ったという感じですね。この世界で生きていこうと決意が固まりました」

―2016年に群馬共同映画社に入社されました。仕事内容は?

「映画製作や宣伝、配給などです。入社して半年経った頃、前橋市から、街中の使われていないミニシアターを再生してくれないかという話をいただきました。

この時勢でミニシアターの経営は厳しいのではー、様々な論議が社内で繰り広げられましたが、市と一緒に街中に文化、芸術の発信基地を作ろうということになり、2018年、前橋シネマハウスが誕生。支配人に就任しました。32歳の時です」

ひぬま・ひろき

1986年6月、前橋市生まれ。東京農大二高―関東学院大卒。太田アカデミーで広報を担当した後、2016年、父親が社長を務める群馬共同映画社へ入社。2018年、前橋シネマハウスの支配人に。