interview
聞きたい
JINS社長に就任した田中亮氏に聞く
マグニファイ ライフを世界中に
2024.03.18
眼鏡チェーン「JINS」を展開するジンズホールディングス(HD)は2023年12月、HDの中核をなす眼鏡事業会社、ジンズの代表取締役に田中亮氏を起用した。創業者でHDのCEOを務める田中仁氏の長男。奇しくも田中CEOが眼鏡店の1号店を出店した時と同じ38歳での門出となった。本社を飯田橋から神田に移し、「第二創業」と位置付けるジンズ。新たなリーダーの目指す風景は-。
グローバル戦略を推進
――業績は順調に推移している。いま、なぜ第二創業という大変革が必要なのでしょう。
ジンズを外から見ると、順調に成長していると言えるかもしれません。そこには3度の大きな要因がありました。
最初は『オールインワンプライス』の導入。フレームとレンズをセットにして低価格で良質な商品を最短30分でお渡しすることを可能にしたシステムです。
2度目は『エアフレーム』。軽量で掛け心地のよさを追求したことですね。
3度目はブルーライトカットのパソコン用眼鏡の商品化です。目が悪くない人でも眼鏡を掛けるようになり、市場を拡大させました。
いずれも創業者の嗅覚によるものが大きく働いていました。逆に言えば、会社、組織として成長していく力は十分ではなかったかもしれません。
ジンズは『マグニファイ ライフ』、人々の生き方そのものを豊かに広げたいというビジョンを掲げています。これを日本だけでなく、世界中の人に届けるには、いまのままの体制では十分ではなく、新たに再び創業するという気持ちを持たなければならないのです。
――グローバル戦略を加速させるのでしょうか。
東南アジアにはビジネスチャンスがあると考えています。もちろん、チャンスがあれば欧米にも進出したいと思います。
現在、店舗があるのは米国、中国、香港、台湾。それとFCでフィリピンに展開しています。
東南アジアは昨年末に視察してきましたが、マーケット的にチャンスはあると感じました。一方で、各国にジンズのライバルになりそうな会社がどんどん生まれ、競争は激しくなりそうです。
――台頭するライバルとの戦い。どんな戦略を描いていますか。
彼らと明らかに差別化しなければなりません。新しいサービスや画期的な商品といった“飛び道具”ではなく、眼鏡小売として本質的に強くなることが求められます。原点に立ち返り、お客さまを中心に商品、体験、コミュニケーションを磨き上げていくことが重要です。
ジンズは日本で一番、眼鏡の販売数が多いです。つまり、日本で一番お客さまの声を収集できます。それを反映し、例えば外ではコンタクトを使用しているけど、家では快適でストレスフリーな掛け心地の眼鏡を掛けたいという需要から『ジンズホーム』というヒット商品が生まれました。しかし、まだ、十分とは言えません。
デジタルを活用して必要な人に必要な情報をピンポイントで届け、いつでもどこでも簡単に購入できる世界を実現したいと思っています。
一見地味なことのように感じるかもしれませんが、こういう本質的な強みを磨いていくことがグローバルで勝つキーポイントになると考えています。
欧米に対しても同じです。欧米では特に掛け姿がカッコイイとか、眼鏡をファッションとして捉える傾向が強いように思います。だからこそ、先ほどお話ししたような本質的な部分を積み上げることが差別化につながるでしょう。
――新たな商品開発のプランはありますか。
日本人は1本の眼鏡を長期間使う傾向が強く、買い替えサイクルの短いジンズでも約2年に1度くらいしか買い替えがありません。それを変えていきたいですね。
シチュエーションごとに使い分けてもらうのです。例えば、家でくつろぐ時には『ジンズホーム』、パソコンを使う時はブルーライトをカットする『JINS SCREEN』、サウナに入るときは『ジンズサウナ』という具合です。
さらに新商品として、睡眠の環境を整える『ジンズスリープ』を2月に発売しました。
――店舗づくりに関してはどうでしょう。
ジンズの魅力の一つにデザイン性に優れた店舗も挙げられます。創業者が建築好きで、『WAO』とお客さまに感激していただける店舗を造ってきました。JINSPARK前橋もそうですね。その土地に根差したデザインや素材を大事にしています。
グローバル展開する上でも、こうした姿勢は持ち続けますが、一方で、どのジンズに行っても商品が買いやすいという機能面も大事です。共通の部分があると、テイストは違ってもジンズだというブランド力は強くなります。規格化することで、ある程度標準化ですること、経費的なメリットもあります。
10を100にするのが役割
――田中社長はいま38歳。創業者がジンズの1号店を福岡市に出店したのも38歳でした。
確かにそうですね。自分は第二創業のスタートを任されたわけですが、ゼロイチの創業は比較にならないくらい大変なことだと思います。創業者はさらにそれを10に広げました。今の自分と同じ歳でゼロからスタートし、ここまでやり続けているのは、本当にすごいことだと思います。
――経営を引き継ぐのも大変でしょう。
自分に与えられた役割はその10を100にすることだと思っています。ビジョンであるマグニファイ ライフを世界中に広げていくことです。
創業者は独自の嗅覚で事業の進め方を決め、みんなを引っ張ってきました。
自分は同じやり方ではできないと思っています。どこに重点を置くか、いま何をすべきか、大きなディレクションを出す立場にあります。幸運なことに能力もやる気もあるたくさんの仲間がいます。彼らの力を最大限に発揮することができるようにするのが自分の一番の仕事だと考えています。
――田中CEOを企業家としてどうみますか。
結果に対するこだわりや、執念、何が何でもやり遂げるという強い意志と実行力は素晴らしいと思います。尊敬しています。
ただ、人に教えるのはあまり上手くないかな(笑)。自分も何か教わったことはありません。恐らく、創業者のやり方ではその器を越えた結果を出すのは難しいかもしれません。
自分は周りの人と一緒に事業を進めることで、自分自身の器より大きな結果を出すことが重要だと思っています。
――家庭ではどんな父親でしたか?
とても厳しい父です。結果を出せないことに対して、自分だけでなく家族にも厳しかったです。
褒められたことは一度もないのではないかな(笑)。何かよくやってもせめて、「よかったね」と言ってもらえるくらい。どうやればいいか教えることはなく、自分で考えなさいという方針でした。
――いつ頃から後継を考えたのでしょう。別の夢はありましたか。
商売をやっている親の背中を見ていて、自分も高校生のころから漠然と商売をしたいなと考えるようになりました。
大学を卒業した後は経済、お金の流れを勉強するために銀行に勤務しました。
ーーその後にジンズに入ったのですね。
ファッションに興味があったので、銀行を辞めて専門学校で学び直ししました。自分で洋服をデザインして販売したいと思っていました。しかし、ちょうどアパレル業界が冷え込んでしまったタイミングで、諦めざるをえませんでした。
そのようなときに、創業者から声が掛かり、衣料・雑貨を扱う子会社に入社しました。当時、赤字続きの状態でしたが、5年かけて黒字に転換することができました。
ーーさすがに、そのときは褒めてくれたでしょう。
褒めてくれなかったです。『よかったね』という感じでしたかね(笑)。
ーージンズ社長への就任にあたってはどんなアドバイスがあったのでしょう。
特になかったです。「やる気はあるか」と聞かれただけです。就任の1カ月くらい前でした。
思っていたより早かったですが、HDの副社長に就いた時から覚悟はしていました。EW事業開発本部長、商品本部長、マーケティング本部長を兼務していて同じような仕事をしていましたから、それほど不安はありませんでした。
仲間と力を合わせて、マグニファイ ライフを世界中に広げていきます。
田中亮(たなか・りょう)
1985年、前橋市生まれ。群馬大附属中-群馬県立前橋高-慶應大経済学部卒。みずほ銀行を経て、2011年、ジンズHD100%子会社のフィールグッドに入社する。ジンズHDで経営ブランド戦略本部長、取締役、取締役副社長を歴任、2023年12月、ジンズの代表取締役社長に就任する。