―エイプの経営を経て、フリーのデザイナーとして再出発しました。不安はありませんでしたか。
「正直、1人の方が楽だなという感じですね。1回、ゲームをクリアしている経験値があり、不安はなかったですね。フリーになって、ユニクロやサイバーエージェントからお声掛けいただき、自分的にはまだ大丈夫なんだと自信も付きました。
いきなり、21歳で起業してますので、それまで人の下で働いたことがなかったので、いい勉強だと思いました。社長出勤だった生活が自分で運転して朝早くからクライアント先に出かける。それを5年やって、いまがある気がします」
―作品づくりで苦労されたことは。
「ユニクロの仕事はマスが相手。これほど難しいデザインはないかったですね。尖らせてはいけないデザインはとても難しかったです。
よく柳井正社長に言われたのは『NIGO®さんのデザインとしては素晴らしい。でも、ユニクロのデザインではないです』。ディレクターとして、ユニクロにいた僕は目の前の商品のことしか見えないけど、その先、この商品が売り場に出たらどうなるのかが、柳井社長には見えていたのでしょうね。
それと、1点1点細かい部分までこだわりを持って、ものづくりをしてほしいと、ずっと言われました」
―ミュージシャンとしても精力的に活動しています。ファッションと音楽、共通するものはありますか。
「『ファッション+音楽=カルチャー』。というのが僕の中の方程式なんです。
例えば50年代のロカビリー。エルビスプレスリーに代表される曲があって、彼らが好んで着た服があって、一つのムーブメントが起きる。
60年代はモッズのカルチャー。イギリスから始まり、みんな細身のスーツを着て、バイクに乗って、モッズの曲を聴いて。一つのカルチャーになる。ヒップホップもそうですね。
ファッションって、音楽からトレンドが来ているところがあります。日々、音楽を聴くことを常に意識していますね。だから、自分は音楽をやることは止めない」
―カレー店も立ち上げました。
「89年に神宮前にあった『GHEE』という人気の店でバイトしていました。すごく美味しかったので、閉店するという話を聞き、それはもったいないと。レシピを継承して、自分の世界観で始めました。
ヒューマンメイドを展開する会社は『ライフスタイルカンパニー』という位置づけで、服もあれば、食もあるわけです。その一環として『カレーアップ』があります。
もしかして、服を作っていなかったらカレー屋さんになっていたかもしれませんね」
新たに「HUMANMADE」 NIGO®
1970年12月、前橋市生まれ。文化服装学院在学中にDJ、ライターとして活躍、1993年、桐生市出身の高橋盾と原宿に「NOWHERE」を開いた。自身で立ち上げたブランド「ア・ベイシング・エイプ」は裏原宿系ストリートファッションとして世界で大ヒット。エイプ売却後はフリーとなり、「HUMAN MADE」を立ち上げる。サイバーエージェントやアディダス、JINSのサングラス部門のクリエイティブ・ディレクターも手掛け、「ルイ・ヴィトン」からコレクションも発表。ルイ・ヴィトングループの「KENZO」のアーティスティック・ディレクターに就任した。
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