【聞きたい糸井さん3】
コピーライター皮切り「言葉」の仕事続々と

コピーライター 苦手ではなかった

―コピーライターを皮切りに「言葉」にかかわるさまざまな仕事をしてきました。どれが本業だったのですか。
 本業はいまは「ほぼ日」という会社の社長です。仕事はどれも面白かったですよ。原料費いらないでしょう、言葉って。仕入れも自分でやれちゃう。人に会う機会もたくさん作れました。やるかやらないかも自分で決められて、商品の価格の設定も自分でできる。こんな楽しいことはありません。
―言葉を生業とするようになった経緯は?
 大学を中退して、会社勤めではなく、一人でやれる仕事を探していて、そんな中にコピーライターというのがあった。養成講座に通い小さな会社に入ってみないかと誘われて。必要に迫られてやった感じです。苦手ではなかったんでしょうね。得意だったかどうかは分かりませんが。嫌でしょうがないということはなかった。苦手なことはやめますから。ただ、請求書が書けなかった。どうしたらいいのか、何を請求すればいいのか、まったく分からなくて。これははっきり苦手でしたね。徹夜していました。
―作詞やエッセイも手掛けました。時代を風靡したヒット曲もあります。
 作詞は頼まれて始めたんです。プロデューサーが僕を使ってくれたからです。だいたい若いころから受け身でやることがほとんどでした。『えー、俺がやるの』。そういうものの連続でしたね。
―まだまだ終わりません。声優になり、ゲーム制作にもかかわりました。
 ゲームだけは違いました。プレーするのも作るのも面白くて。任天堂にこういうゲームのアイデアがありますと持って行って。実際に作るまでは大変でしたが、なんとかちゃんと形になりました。


DSC_2088

▲アクエル前橋内のTSUTAYA BOOKSTOREにある
「ほぼ日ブックコーナー」
23年間 1日も休まない新聞ウエブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(通称:ほぼ日)」は1998年6月6日の開設以来、1日も休まず更新している。糸井さん自身が毎日書くエッセイ「今日のダーリン」をはじめ、インタビューやコラムが無料で楽しめる。「ほぼ日手帳」などオリジナル商品の販売やイベントなども手掛けている。

糸井重里(いとい・しげさと)1948年11月、前橋市生まれ。

前橋高-法政大文学部中退。コピーライターとして人気を集めたのを皮切りに、幅広く活躍するマルチクリエーター。沢田研二の「TOKIO」をはじめ作詞も数多く手がけ、企画制作したゲーム「MOTHER」シリーズは熱狂的な人気を集める。1998年にスタートしたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、「ほぼ日手帳」をはじめ2021年の日本文具大賞グランプリを受賞したAR地球儀『ほぼ日のアースボール』、先月開校した「人に会おう、話を聞こう。」をテーマにアプリを通して届ける『ほぼ日の學校』など様々な商品開発、企画を手掛ける。

関連記事