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聞きたい

【聞きたい 木暮あかりさん<前編>】
高校のチラシが人生を変えた
前橋映画『虹の街』の記憶

2026.05.12

【聞きたい 木暮あかりさん<前編>】
高校のチラシが人生を変えた
前橋映画『虹の街』の記憶

 前橋を舞台にした映画『虹の街』と続編『なないろのまち』が5月16日から、前橋シネマハウスで2本立て上映される。2010年に公開された『虹の街』で、主人公の小林奈緒を演じたのは当時、共愛学園高1年だった木暮あかりさん。高校の廊下に貼られたちらしを見て受けたオーディションが、人生の大きな転機になった。前編では、映画出演のきっかけ、撮影で出会った大人たち、赤城山で育った記憶を聞いた。
(取材/阿部奈穂子)

高校1年、初めての演技

――2010年公開の『虹の街』に出演したきっかけを教えてください。

 当時は共愛学園高1年でした。校内にチラシが貼ってあって、市内在住や通学の高校生を対象にキャスト募集をしていたんです。私は放送部で、みんなで映像を撮ったりする部活に所属していたので、「部員全員で応募しよう」という感じでオーディションを受けました。

――合格したときは。

 うれしかったです。お芝居は初めてでしたし、映画に出られることなんてめったにないじゃないですか。撮影は週末を中心に。出演している高校生はみんな初めてだったので、演技レッスンの日もありました。

▲2010年公開の『虹の街』。メインキャスト4人勢揃い

――完成した映画を観た感想は?

 最初は恥ずかしかったです。自分が大画面で動いている。冷静には見られませんでした。でも振り返ると、あのときの経験は本当に貴重だったと思います。

――どんなところが貴重だったのでしょう。

 家族以外の大人にたくさん会えたことです。まちづくりをしている方や商店街の方たちが前橋を盛り上げたいという思いで集まって、楽しそうに映画を作っていらっしゃった。高校生の私にとっては見たことのない大人たちでした。

▲映画『虹の街』より

社会の教科書にオリオン通り

――『虹の街』は商店街が大きな舞台でした。

 15年前、前橋のまちなかはいまより静かでした。高校の社会の教科書に、寂れた商店街の例としてオリオン通りの写真が載っていて。それがすごくショックで、「この商店街はどうなっていくんだろう」という思いもありました。

――藤橋誠監督の印象は。

 すごく優しかったです。みんな演技が初めてなのに1本の映画を完成させるのは大変だったと思います。私が放送部だったから放送部の話にしてくださったり、オーディションで話したことをストーリーに取り込んでくれたりして、自分に近い役を書いてくださったので演じやすかったです。

▲映画『虹の街』より

赤城山で育った記憶

――木暮さんは前橋生まれですか。

 生まれは埼玉です。でも両親が前橋出身で、両方の祖父母の家も前橋にありました。小学校に入るタイミングで赤城山に引っ越してきました。

――赤城山で暮らしていたのですね。

 はい。教会が運営する赤城バイブルキャンプという場所に、親が住み込みで働いていました。覚満淵や赤城山ビジターセンターの近くです。父はキリスト教の牧師です。小学校は白川小で、ビジターセンターのバス停からバスで45分かけて通っていました。

▲2026年公開の続編『なないろのまち』より

――今回の映画『なないろのまち』にも、赤城山の設定が出てきます。

 はい、主人公の奈緒が赤城山に住んでいたころの話が出てきます。たぶん藤橋監督が、私の生い立ちを考慮して入れてくださったんだと思います。

――子どものころ、赤城山の暮らしをどう感じていましたか。

 当時は、CD屋さんや本屋さんがないことに怒っていました(笑)。いま考えれば素敵な自然でいい環境だったのに、スーパーもコンビニも何もない。友達も、同世代の女の子が大沼のほとりのお土産屋さんに1人いるくらいで…。冬は水道管が凍ってしまうので、敷島公園近くの祖母の家に住み、春に水道管が復活するとまた赤城山に戻る生活でした。

▲小学校時代の思い出を話す木暮さん

こぐれ・あかり

1993年生まれ。群馬県前橋市・赤城山の山頂で育つ。共愛学園中学校・高等学校、国際基督教大学卒業。2016年エフエム群馬に入社。2023年退社。現在はフリーランスのナレーターとして活躍。