interview
聞きたい
【聞きたい髙橋万太郎さん▶下】
運命に導かれた醤油業界
2023.06.01
全国の小さな醤油蔵を巡り、大事に造られてきた至極の醤油を提供する「醤油職人」。代表の高橋万太郎さんは大学卒業後、営業マンとして営業力を磨いてから起業しました。特に何をするかは決めていなかったとか。自分探しを兼ねた新婚旅行先で出会ったのが醤油。運命に導かれたのかもしれません。
伝統産業に営業力で貢献
—起業はいつ決断したのですか?
学生のころから漠然と起業しようと思っていました。2003年に大学を卒業し、社会人になりました。当時は就職氷河期で、ベンチャー企業がもてはやされた時期でもありました。
就職したのは営業に定評のあるメーカーで、「石の上にも3年」と営業の仕事に就きました。
退職時には何をするか見つからず、机の上で考えてもピンとこないだろうと、100万円を持って3カ月間、日本全国を旅しました。実は新婚旅行でもありました(笑)。貧乏旅行でした。妻には頭が上がらないですね。
メーカーで培った自分の営業力が何に役立つかを考え、いいものを造れても営業が弱い伝統産業や地域産業に照準を絞りました。器とかタワシとかローソクとか300アイテムくらい候補に挙げ、最終的に醤油にたどり着きました。
まったく知識はなかったのですが、川崎市の蔵元で一から教えてもらい、この道に入りました。
—全国の蔵を訪れ、何か気になったことはありますか。
昔ながらの木桶造りが消滅しそうなことに危機感を覚えました。
醤油は昔、木桶で造られていました。高度成長期に安定して均質な醤油が造れるステンレスやプラスチックのタンクに切り替わり、いま国内に残っている大型の木桶は4000本ほどです。そこで生産されるのは国内消費量の1%しかありません。
新しいタンクに切り替える資金がなくて、周回遅れのようになってしまったのですが、それがかえって良かったのです。木桶は蔵にある微生物が味に深みを与えてくれます。
ただ、一つの桶は100年から150年持ちますけど、このままでは50年後にはなくなります。
—なぜですか?
木桶を造れる職人がいないからです。
そこで、木桶仕込みの醤油を残そうと、10年くらい前から小豆島の蔵人さんと木桶造りを始めました。いまでは全国25の蔵に広がっています。
木桶で熟成 海外に売り込む
—木桶で造る醤油。ロマンがありますね。
木桶の中で3年発酵させた醤油。ワインやウイスキーと共通しませんか。海外の方はものづくりのストーリーに共鳴してくれる。造り手の思いを汲んでくれます。
いいワインと同じ。ちゃんとした醤油なら受け入れてくれるでしょう。
2年前に一般社団法人を作り、海外への輸出に力を入れています。和食がブームとなり、醤油=ソイソースは世界に普及していますが、現地で流通している価格の10倍でも売れるようにブランディングしていきます。
輸出で実績を残し、国内に逆輸入する形で醤油の価値を高めたい。昭和の初めころは、醤油の方が日本酒より高かったんです。
—縁あって足を踏み入れた醤油の世界。これからどう展開していきますか。
15年やって、まだ一合目。もっといい醤油を造っている人がいるかもしれない。より良い醤油を造れるよう提案したり、販売のお手伝いをしたり。やることはまだまだあります。
頂上はまだ見えません。
たかはし・まんたろう 1980年、前橋市生まれ。群馬大附属中-前橋高-立命館大経済学部卒。精密光学機器メーカーに3年勤務した後、2007年に起業する。直営店の「職人醤油」は前橋本店と松屋銀座店がある。