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前橋ゆかり滝川一益を偲ぶ 
12月3日に第10回長昌寺能

2025.11.07

前橋ゆかり滝川一益を偲ぶ 
12月3日に第10回長昌寺能

 戦国時代、前橋市の長昌寺で上州初の能を上演したとされる織田家の武将、滝川一益を偲ぶ「第十回長昌寺能」が12月3日、昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館)で開かれる。映画や舞台でも活躍する狂言師、野村萬斎さんをはじめ、観世流シテ方の藤波重彦さん、高崎市出身の下平克宏さんと大槻崇充さんが出演する。

野村萬斎さんが『鍋八撥』

 10周年の節目の公演を記念して、新作能『下天の夢』の制作が始まっている。織田信長の四天王の一人、滝川一益を主人公に据えた物語で、上州を舞台にした新しい能の創作を目指す。この日はその一部を小謡として初披露する。

 第1部では長昌寺住職の栗木信昌さんらが新作能を解説し、新作小謡『下天の夢』、仕舞『玉鬘(たまかずら)』を披露する。

▲野村萬斎さん(左)

▲藤波重彦さん

 第2部は野村萬斎さんによる狂言『鍋八撥(なべやっぱち)』、下平克宏さんの能『船弁慶』が上演される。

▲下平克宏さん(前列左)と大槻崇充さん(右)

430年前、上州初の能上演

 長昌寺は群馬県で最初に能が演じられた地とされる。戦国期、滝川一益が厩橋城主だった際、城内で「玉鬘」を舞い、長昌寺境内に能舞台を築いたと伝わる。

 長昌寺能は2014年、長昌寺の本堂を改修するなどして始めた。参観者が増えたことから、会場を前橋テルサ、市民文化会館と移して開いている。主催は長昌寺能運営委員会と前橋市まちづくり公社。

▲長昌寺住職の栗木信昌さん

 長昌寺住職の栗木信昌さんは「430有余年の時を経て、前橋の地で滝川一益公を偲ぶ能が再現できるのは意義深い。多くの人に能に親しみ、前橋の歴史に関心を持ってもらいたい」と来場を呼び掛けている。

上州の能発祥の地「長昌寺」

 長昌寺は群馬県における能発祥の地である。その歴史は戦国時代にさかのぼる。

 天正10(1582)年武田勝頼は、織田信長・徳川家康連合軍に攻められ3月11日甲斐国(山梨県)天目山で滅ぼされた。勝頼の首は、織田・徳川連合軍の先方を務めた滝川一益から先鋒大将・織田信忠(信長の長男)を経て、信濃国(長野県)浪合に陣取っていた信長に届けられた。

 武田氏が滅ぶと、北条氏政は上野国(群馬県)を支配しようと目論んだ。これに対して信長は一益に上野国と信濃国小県・佐久二郡を与えた。そして秘蔵の脇差一腰と馬を与え関東へ入部するよう命じ、「関東管領職」に任じた。

 滝川一益はまず箕輪城(高崎市)に入り、厩橋城(前橋市)へ移った。厩橋城を拠点に上野国支配を行おうとした。一益は、厩橋城に上野国内の諸将を招き、5月に能興行を行った。自ら『玉鬘』を舞い、一益の嫡子・於長が小鼓を、岡田太郎右衛門が大鼓を打った。6月11日には長昌寺で「能組十二番書立、舞台ヲ拵、瓶ヲ十二フセ、総構ヲ大竹ニテ二重」にというふうに、本格的な能興行を行った。これが記録に残る群馬県で最初の演能である。

 馬上でとった天下は馬上で治められぬと、徳川家康は朱子学を重んじたが、一益が能を舞って見せたのは、文武兼ね備えた支配者であることを誇示したものであり、上野国の諸将(城主)は、領主として一益を受け入れた。

 「内藤大和守・小幡上総介・和田石見守・由良信濃守・長尾但馬守・安中左近・上田安徳斎・木部宮内少輔・高山遠江守・深谷左兵衛尉・成田下総守・倉賀野淡路守・(信州)真田安房守」がその配下に組み込まれた。

 ところが、天正10年6月2日明智光秀が謀反を起こし信長が倒された(本能寺の変)。18・19日、一益は上野国の諸将を従え、上野(群馬県)・武蔵(埼玉県)国境の神流川の河原で、北条氏邦を先鋒とする北条軍と対決することになった(神流川合戦)。

 滝川・北条両軍は多数の犠牲者を出したが、戦いは北条氏の勝利に終わり、一益は碓氷峠を越え、信濃国小諸を経て本国伊勢へ引き返した。

 一益は、神流川合戦に敗れて本国へ帰る際にも、上野国の諸将を厩橋城に集め酒宴を開いた。一益が能『羅生門』の一節を鼓に合わせて「武士の交り頼みある仲の酒宴かな」と謡うと、倉賀野淡路守が能『源氏供養』の一節を「名残今はと鳴く鳥の」と返した。

 滝川一益は鉄砲の名人で織田四天王として知られたが、この武将によって群馬県には能がもたらされたのであった。

(長昌寺ホームページより)

第十回滝川一益公を偲ぶ長昌寺能

メールアドレス a-kikaku@mail.wind.ne.jp(朝日企画)
・期日 2025年12月3日
17時開場、18時開演
・会場 昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館)
大ホール
・入場料 S席6000円、A席4000円