最期まで写真家だった小原玲君へ

夢は教師から写真家に

「本当は学校の先生になりたかったんだ」。2004(平成16)年7月。前橋中学・高校同窓会で1979(昭和54)年卒業の我々の学年が幹事となり、小原玲君に記念講演をお願いした。打ち合わせの時か、打ち上げの時か。こんな話を聞いたのを思い出した。
 中学2年で自衛隊音楽隊の指揮者だった父親を亡くした。母子家庭となり、母親を安心させようと、安定した道を志望したという。
 転機となったのは高校時代に応募した出版社の写真コンテスト。「休み時間」のタイトルで応募した作品は、昼休みに黒板に向かって化学の先生と議論する長髪の優等生とアダルトな写真集を見てにやにやするイガクリ頭の野球部員を対比させた。
 「高校生対象だったから、こんな作品は評価されないはず」。そう想像していたが、グランプリに輝き、人生を変えることになった。
 写真好きだった父親の形見のペンタックスで撮りまくった。「同級生を撮るのが楽しかった。みんなと仲良くなれる。写真を撮ると、周りが幸せになれる」。そんな喜びを見出した。

報道写真に痛める心

報道写真家として、スクープを連発した。天安門事件や湾岸戦争、ソマリア内戦を取材、ファインダー越しに多くの「死」や「悲しみ」を見てきた。シャッターを押すのが辛くなった。
 「カメラを捨てよう」。そこまで思い込んだ写真家を救ったのはアザラシの赤ちゃんだった。つぶらな瞳を見て、夢中になってシャッターを切った。動物写真家・小原玲の誕生の瞬間だった。
 アザラシやホタル、シマエナガ…。動物を写すことで地球環境や身近な自然の大切さを訴えてきた。

前橋は写真の「原点」

「話したいことがある」と呼ばれ、9月に東京駅で会った。ガンのステージ4であることを告げられた。「ちやほやされているうちに逝く方がいいかな」と強がる友に、「最期まで写真家として生きろ」と励ましにもならない言葉を発した。
 「最後になるだろう」と前置きして、2月にアザラシの撮影に行き、3月に写真集を出すという。「じゃあ、3月に前橋で写真展を開こう」。思い付きで提案すると、「うん、いいね。前橋は僕の写真の『原点』だから」と無邪気に喜んでくれた。
 モモンガの撮影のため、北海道網走市に発った。だが、体は限界だった。市内の病院に入院、意識を取り戻すことはなかった。
 高校の卒業アルバムの制作を一手に引き受けてくれた。久しぶりにアルバムを開いてみた。小原君を探した。随分と痩せていたな。でも、笑顔がいい。授業中に居眠りしたり、早弁する同級生を激写していた。随分と変なアルバム。でも、いいアルバムだ。ありがとう。42年ぶりにお礼を言います。


 

動物写真家の小原玲君が11月17日午後0時8分、病気のため永眠されました。高校の同期であり、同じマスコミ業界で働いていた縁もあり、社会人になっても親しく付き合ってきました。前橋新聞「me bu ku」の立ち上げにも協力してくれ、「小原玲の動物の赤ちゃん」のタイトルで写真とエッセイを送ってくれました。謹んで彼の死を悼み、追悼文を書かせていただきました。ご冥福をお祈りします。

(編集長 阿部 和也)