interview
聞きたい
前橋空襲体験談を声で
中村ひろみさんが語る10年の辻立ち朗読
2025.08.02
前橋空襲の体験を今に伝えたい——。前橋市在住の女優、中村ひろみさんは2015年から毎年8月5日の前橋空襲の日に、前橋市中心街に立ち、空襲体験者の言葉の朗読を続けている。10年にわたる活動を振り返り、その思いを寄稿してくれた。
「私の街で何ができるのか」
私は2015年から、8月5日の前橋空襲の日、6日広島、9日長崎の原爆の日、そして15日終戦記念日に、前橋空襲体験者の残した言葉を辻立ちで読み上げている。
きっかけのひとつは2011年の東日本大震災。母の実家が被災し、その惨状を前に、私はこれまで社会の大きな出来事に対し傍観者的であった自身を省みた。もうひとつは2013年、東京の演劇ユニットの依頼で東京大空襲をテーマにしたひとり芝居に出演、その時生まれた「私の街、前橋で何ができるか」という自分への問いかけから、前橋空襲を調べ始めた。
むろん私は実体験として語ることはできない。しかし、書き残された貴重な体験談なら、役者である私の声で読み続けることができる。まずはひとり、まちなかで辻立ちを始めた。
間もなく、近隣商店街の方々が場所や音響機材、Wi-Fi設備の提供等、温かく支援してくださった。この支えのおかげで、10年以上継続できている。
「事実を知らない人が多い」
活動を続ける中で最も衝撃的だったのは、広島や長崎の悲劇は知っていても、自らの街が空襲で焦土と化した事実を知らない人が多いことだ。これは世代を問わない。私もそうだ。私自身は東京出身だが、実は大人になるまでほとんど空襲の話は知らなかった。
日本本土空襲は、1945年3月の東京大空襲以降、各都市を焼き尽くす無差別焼夷弾爆撃へと戦略転換。大都市への攻撃後、6月中旬からは前橋のような地方の中小都市へと拡大し、終戦までのわずか2ヶ月間に、約80から120以上の都市、そこに生きる民間人が爆撃対象となった。
群馬では太田が度重なる空襲をうけ、前橋空襲のあった8月5日のみ三種類の爆弾が使われいる。また伊勢崎、高崎は14日夜から15日の終戦直前に空襲をうけている。
辻立ち当日は20人近く訪れることもあるが、ほとんどは2、3人、時には1人という日も少なくない。しかし、事前にメディアへ情報提供し、SNSで発信、当日の様子もライブ配信。こうした情報発信を通じ、来られなくとも多くの人が「気に留める」ようになってくれた。そして「気にかけてくれた」誰かが足を運び、時には朗読に参加してくれる。
「平和の尊さを考える機会になれば」
参加者は「目で読むだけでなく、耳で聞き、自らも声に出すことで、体験談がより深く胸に迫る」という。声を通じた行為は、単なる情報伝達を超え、感情の共有や追体験に近い感覚を呼び起こすのだろう。
一方で、あまりに悲惨な体験ゆえに、語れない方々もいる。その心情への配慮も心掛けたい。もしかしたらそこにも、私が「読み続け」、情報を「発信し続ける」意義があるのかもしれない。
また多くの人が気にかけてくれれば、今年来られなくても来年、あるいは5年後にふと思い出して足を運んでくれるかもしれない。その「いつか」のために、私はこの場所に立ち続けたい。
戦争は教科書の中の出来事ではない。今、私たちが歩くこの道で、かつて多くの人が倒れ、炎に追われた。この辻立ちが、身近な悲劇から日本の、世界の歴史へと目を向け、平和の尊さを考える機会につながればと思っている。
今年も8月5日、中村さんは前橋中心市街地に立ち、朗読をする。10時頃から。


