interview
聞きたい
【聞きたい小野里寧晃さん▶2】
他人の3倍仕事 28歳で起業
2023.05.09
「店舗スタッフがECサイトで接客する」「売り上げの一部を還元」「モチベーションが上がり一生懸命売る」-。スタッフサービスという画期的なシステムを開発したバニッシュ・スタンダードの小野里寧晃CEOは20代前半までバンドマンを夢見ていた。
フリーター、クラブDJ…
―中学、高校時代の話を聞かせてください。将来の夢はありましたか。
中学時代は剣道部にいながら、ヤンチャ系でした(笑)。バンドも始めました。ギター、結構上手かったな。
高校に行って、さらにバンドにのめり込み、バンドで食っていこうと夢見ていた。前橋の街中にあったラタンとかフリーズで育ちました。
高校のとき、親父が経営していた会社を畳んでしまった。それまではちょっと裕福な家庭でした。会社がなくなり、自分の人生をちゃんと考えなきゃと思うようになった。
勉強はしてこなかったし、それでバンドをやろうと、バンドで飯を食って行こうと考えた。楽しいことをして生きていく。いまもそうです。楽しくない仕事はしません。
―上京して本格的に活動したのですね。
大学に入ったけど、2週間で辞めた。勉強は大嫌いだったから。しばらく親には内緒で(笑)。本気でプロになりたくて、CDも作ったけど…。まあ、いま思えばセンスがなかったのでしょう。
その後はフリーターとなり、六本木のクラブでDJをしたり、日焼けサロンの店員やカラオケのキャッチをしたり。人生を楽しんでいました。DJはめちゃめちゃ楽しかった。下手でしたけど、喋るのは上手い口先DJでした。人を楽しませるのが好きだったんですね。
―自由気ままな暮らしに終止符を打ち、Web制作の会社に就職します。
専門学校でWebを学びました。洋服もそうですが、音楽でもその場にいる人しか喜ばせられない。広がりを作り、多くの人を喜ばせるにはネットが大きな武器になると考えて。
その後、就活して300社くらい当たりましたが、すべて落とされた。まあ、いま思えば当然でした。
―どうしてですか。
当時の自分は顔中にピアスしてハーパン、サンダルでしたから(笑)。まあ、無理でしょう。
最後に就職することになる会社に合格するのですが、実はここでも社長から面接が始まってすぐに駄目出しされました。でも、社長が休憩時間に煙草を吸っているところに「何でもしますから」と直談判してようやく入社できました。
―粘り勝ち。おめでとうございます。
それが、あまりおめでたくなかった。1年間は毎日、水槽掃除をさせられました。確かに「何でもする」と言ったけど(笑)。
何とかWebの仕事がしたくて、2年間、毎日、会社に寝泊まりして仕事しました。土、日も休まず、年末年始も仕事。バルコニーで体を洗った。
能力はなくても、人の3倍仕事をしたから経験値は高まる。25歳で部長に昇進できました。
借金数億円 社員はいなくなった
―28歳で独立しますね。
ECサイトの受託開発をしました。調子に乗っていましたね。あるとき大失敗した。大手の仕事を受け、寝ずに仕事したのですが、満足いただくことができなかった。
気が付いたら数億円の借金が残り、25人いた社員はだれもいなくなった。
「人生終わった」「死んで保険金で金を返すか」。そんなことも頭をよぎった。
でも、これで終わりになるのは嫌だった。これからも経営者を続けるなら、自分の心の清算をしなければいけないと考え直した。何が悪かったのか、きちんと総括して再挑戦しよう、借金は全部返すぞと決めました。
おのざと・やすあき 1982年、前橋市生まれ。前橋三中-佐野日大高-日大。大手Web制作会社で主にアパレル企業のECサイトを制作。2011年にバニッシュ・スタンダードを設立、店舗スタッフをDX化させる「スタッフスタート」で業績を伸ばす。