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学びたい
日航機墜落から39年目の「奇跡」描く
前橋出身、元日航社員の江利川さん
2026.09.30
1985年の日航ジャンボ機墜落事故での体験からの半生を題材に綴った「39年目の奇跡」で、前橋市出身の江利川宗光さん(66)=横浜市=が第21回「文芸思潮」エッセイ賞(アジア文化社主催)の最優秀賞を受賞した。事故当時、日本航空の若手社員として対応に当たり、その後も毎年、御巣鷹山への慰霊登山を続けてきた。墜落事故から39年後に起きた羽田空港での航空機事故で乗客、乗員全員が生還した「奇跡」への感謝を胸に惨事の封印を解いた。
炎上する機体、39年前の記憶
エッセイは2024年1月2日、羽田空港で起きた日本航空機と海上保安庁機の衝突事故から始まる。テレビの前で炎上する機体を見つめながら、江利川さんの記憶は39年前へとさかのぼっていく。
1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。江利川さんは同年4月に日本航空に入社したばかり。事故翌朝から羽田空港にあるホテルを拠点に、乗客の家族への対応に当たった。
入社わずか4カ月。社員や乗客の親族、報道陣が行き交う中、連日続く緊張の中で家族に接し、犠牲者と向き合った体験を振り返っている。
▲文芸思潮第101号の表紙
人事部長として再び御巣鷹へ
事故後、江利川さんは毎年、慰霊登山を続けるようになった。
入社から25年後の2010年、50歳で人事部長に就任した。この年の1月、日本航空が経営破綻。1万6000人の社員のリストラの実行者としてもがき苦しむ中、若手社員だったころとは違った思いで御巣鷹の尾根と向き合った。
会社を離れてからも「御巣鷹の地に救いを求め」、慰霊登山を続けた。
▲慰霊登山に訪れる人は絶えない
「事故を書いていいのか」
日本航空で社員、役員として長く勤務した江利川さんにとって、事故をエッセイにすることには葛藤があった。
掲載誌に寄せたコメントで「加害企業の社員、ましてや役員まで務めた人間が、事故のことをエッセイの題材にすることは不謹慎ではないのか」と自問したことを明かしている。
それでも、自らの体験を書き残すことで「少しでも事故の記憶の風化を防げれば」と応募した。
前橋高同級生と慰霊登山
2024年の慰霊登山は前橋高校の同期生と一緒だった。山頂の「昇魂之碑」にたどり着き、犠牲者を悼んで手を合わせた。
そこで思い浮かべたのが、同年1月の羽田空港での事故だった。乗客、乗員全員が脱出できたことを「後輩社員たちの献身的でプロとしての頑張りがあればこそだった」と受け止める一方、「御巣鷹の地に永遠に眠る御霊の導きもあったのではないか」との思いを抱いた。
御巣鷹での「惨事」と39年後の羽田での「奇跡」。2つを重ね、作品を結んだ。
▲前橋高校の同期と(右から3人目が江利川さん)
国内外から216編が応募
第21回「文芸思潮」エッセイ賞には国内外から216編の応募があり、江利川さんを含む3人が最優秀賞を受賞した。
入賞作品は文芸思潮第101号に掲載されている。
江利川さんの受賞の言葉
受賞作のテーマは、入社直後の航空機事故が私の半生に織りなしてきた心の風景とその変遷を内省的に振り返った内容です。加害企業の社員、ましてや役員まで務めた人間が、事故のことをエッセイの題材にすることは不謹慎ではないのか逡巡しました。しかし、自分も「前期高齢者」の仲間入りを果たした今、自らの体験を書き残すことで少しでも事故の記憶の風化を防げればと願い、そして彼の地に眠る御霊に対し心からの慰霊の意を込めしたためました。
江利川宗光(えりかわ・むねみつ)1960年、前橋市生まれ。前橋高―東京外語大外国語学部卒。1985年、日本航空に入社。人事本部長、中国総代兼北京支店長を経て、2018年、ジャルパック社長。2022年、群馬県観光物産協会専務理事。現在は良知経営取締役専務執行役員、東京外語大理事。


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