聞きたい NIGOさん4▶︎
高橋盾さんと裏原宿で出店
若者から支持「勢いあった」

―文化服装学院時代はDJに加え、ライターとしても活躍されました。
 「僕は無意識的に人のコネクションみたいなものを作っていました。19歳で『マガジンハウス』でバイトして、『ポパイ』という雑誌で、新しいモノを紹介する巻頭5ページを月1で担当していました。
 まあ、学校で学びながら、実践もやる。そんな文化時代でした。僕、割と下積みっぽいこと長くやっているのですが、そう見られないんですよ(笑)」
 ―高橋盾さんと出会いますね。桐生市出身で、同じ群馬県人ですね。
 「文化の1年先輩です。僕の4大恩人の1人にあたります。彼が声をかけてくれて、いろいろ紹介してくれて。2人で雑誌の連載もしました。
 お互いに目指す方向も違っていますけど、いまでも仲はいいので、マメにLINEで連絡取りあっています」
 ―どんな人ですか?
 「在学中から作品を作っているところを見てきました。すごい努力家です。世に出るべくして出たという感じです。本当に服が好きでいろいろ詳しい。
 世界で勝負して、王道のファッションで成功している。誇らしいですね、後輩としても」
 ―高橋さんと2人で原宿に出した「NOWHERE(ノーウエア)」は1990年代の若者の絶大な支持を得ました。何が若者の心をつかんだのでしょう。
 「『裏原宿系』の発端になったといわれていますが、たまたま僕らが一番早かったということで。まあ、2人でやったので、1人でやるより厚みがあって、ちょっと変わった店でした。
 商売をしようと思って出店したわけではなく、カルチャーサロン的なもの、夕方になると知人が集まってくるみたいな。自分たちが着たい服を作って、それを売るみたいな、すごく適当な感じではありました。
 いつの時代も原宿は若い人がことを起こすには最適な場所ですね」
 ―この時期の作品、自身でどう評価しますか。
 「クオリティーとしては低いですね。ほとんどの作品を新品の状態で取ってあります。最近、10万円、20万円で売れると聞きましたが(笑)。
 ラルフローレンの無地のTシャツを買ってきて、手刷りでプリントしたり。そんなのが許された時代でした(笑)。でも、勢いはある。いま自分にない勢いがあります。良い意味で無茶苦茶です」
 ―中山秀征さんのスタイリストもしたとか。
 「大変お世話になりました。いまでも時々、LINEで話をします。アメリカ製の作業着のつなぎを着てテレビに出てもらったことがありました。『いまこれイケてます』『おっ、いいね』みたいな感じで。他のタレントさんだったら、『こんなの着られるかよ』って怒られたかも。すごく信頼してもらっていました」

「エイプ」が世界中で大ヒット NIGO® 

1970年12月、前橋市生まれ。文化服装学院在学中にDJ、ライターとして活躍、1993年、桐生市出身の高橋盾と原宿に「NOWHERE」を開いた。自身で立ち上げたブランド「ア・ベイシング・エイプ」は裏原宿系ストリートファッションとして世界で大ヒット。エイプ売却後はフリーとなり、「HUMAN MADE」を立ち上げる。サイバーエージェントやアディダス、JINSのサングラス部門のクリエイティブ・ディレクターも手掛け、「ルイ・ヴィトン」からコレクションも発表。ルイ・ヴィトングループの「KENZO」のアーティスティック・ディレクターに就任した。

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