聞きたい さとやん2 ▶︎
一晩で「先生」から「DJ」に 赤坂さん「責任取ってください」

この人の「言葉」にどれだけ多くの人が勇気をもらっただろう。人生が変わった人だっているかもしれない。エフエム群馬で人気のDJ、内藤聡さん。人懐っこい顔立ちと巨体。「さとやん」「親方」とイジられながら、きょうも元気に絶叫する。

―人気パーソナリティーの赤坂泰彦さんがDJをしていたエフエム群馬の番組にはがきを投稿し、読まれたのがきっかけでこの世界に入ったとか。
 深夜放送にはまっていた中学3年の時でした。「群馬で聞いているサトシ、受験勉強頑張れよ」とサラっと言われて。もう鳥肌が立ちましたよ。
 友達も聴いていて、翌日は大騒ぎ。みんなの前で『D―J―赤坂―』と物まねしたら結構受けました。「うまくすると女の子にモテるかな」と密かに計算して、DJになることを決めました(笑)。わずか一晩で。その前は学校の先生になりたかったんですがね。
 ―DJになってから、赤坂さんと会う機会はありましたか。
 名古屋時代に番組でご一緒し、エンディングで「あなたのせいでこの道に入りました。責任取ってください」って言いましたよ(笑)。「投稿が縁でラジオ業界に入ったのは結構いるけど、DJになったのはお前ぐらいだ」と言われて、うれしかったですよ。赤坂さんは目標であり、あこがれです。
  ―大阪の大学在学中にデビューしました。
 二十歳からこの世界に入って、そのまま25年。本当に、ボクは人に恵まれて運よくきました。大阪時代は地元の人間になりきり、徹底して関西弁で話していました。
 コミュニティー放送も含めて26歳まで関西で仕事をして、名古屋に行きました。大阪時代の先輩から誘われ、月に1度、番組の手伝いをしていたんです。大阪でもまれ、成長させてもらったけど、もう1回リセットしたい、自分の殻を破りたいと思うようになりました。このままでは先が見えてしまうと。
 ―名古屋の水は合いましたか。
 ここでもラッキーなことがあったんです。バイトでCMのナレーションをしていたら、偶然聞いていた放送局のプロデューサーが「この声、だれ?」と気にかけてくれて。3日後に番組が決まりました。
 日本で1番古いFMで、土曜日の朝の番組は歴代、女性が担当でした。「半年でクビかも。でも、これはチャンスだと必死にやりました。「ボンジーアー」もこの頃、始めました。
 ―名古屋生活は長かったですね。
 16年いました。骨をうずめる覚悟で。マンションも買ったし、結婚もしましたし。ただ、ボクは少しこう(鼻にこぶしを付ける天狗のポーズ)なりかけていました。群馬に戻りたい気持ちもありましたし、新天地でやってみようと。名古屋の人には本当によくしてもらいました。
 「いつでも戻ってこいよ」といまだに言われます。イベントに参加するなど、まだ、名古屋とは深いお付き合いをしています。

 内藤聡(ないとう・さとし)

1975年6月、藤岡市生まれ。高校時代は野球部に所属。大阪芸術大在学中に放送業界に入る。大阪、神戸、名古屋、北海道のFM局でDJを務める。


 FM GUNMA

2020年『WAI WAI Groovin’』  月曜日―金曜日  7:30~11:00

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