【聞きたい萩原さん1】
スペイン風邪に感染した朔太郎、後輩を激励する

「萩原朔太郎の孫」。そういわれるのが嫌だったという。祖父に抗うように詩を書くことはせず、朔太郎にかかわる仕事は一切タッチしてこなかった。俳優、演出、映像制作、エッセイ…。違う分野で活躍してきた。5年前、「朔太郎記念」の前橋文学館館長になった。呪縛から逃れ、新たな大仕事に挑む。

―「言葉を粗末に扱うということは、人生を粗末にしている」。前橋文学館の館長就任にあたり、こんなメッセ―ジを記しています。
 私たちは言葉で歌い、言葉で考え、言葉で感じる。すべて、言葉が先行しています。言葉をやせさせる人がいる。言葉を殺している人がいます。最近の政治家の言葉でも『誠意を持って迅速に対処する』なんて鸚鵡(おうむ)返しに国会で答弁されると、誠意が誠意でなくなってしまう。そんな危機感があります。だからいまこそ、言葉と人間について、言葉の領域について考えるべきだと思います。
 ―言葉と人間について考える。どんなアプローチで行いますか。
 萩原朔太郎没後80年の来年、全国34館で「朔太郎大全」という企画をします。詩人しか言葉の領域を広げようとか、言葉の意味を深めよう、言葉の可能性を考えようとする人はいないんですね。 私のような散文家にとって、言葉は手段。詩人は言葉が目的なんです。言葉が薄っぺらになった現状、風潮に対して、詩人を見直すことによって、言葉の領域を深め言葉と人間の関係を見直す、いいチャンスだなと思います。
 ―萩原朔太郎が友人に宛てた1918(大正7)年の書簡が見つかりました。「目下流行の例の悪風邪に犯され」と書き記し、スペイン風邪に感染していたと推測されるなか、親交のあった同人を激励しました。
 10歳年下で第1詩集の出版を考えていた詩人(竹村俊郎)を励まし、実際に詩集に長い文章を書いています。よく書いたなと。私だったら、コロナで倒れている時に手紙なんか書きませんよ。ちょこちょこっとメールするくらい(笑)。
 詩人(萩原朔太郎)は自分の第1詩集(『月に吠える』)が出て、世間の評判を得た時でした。そこから3年、何も書いていません。芥川賞受賞者は受賞第1作を決められた時間に書かなければなりません。辛い作業です。前作をいかに超えられるか。2作目がだめだと1作目もだめだったんだと評価されてしまいます。
 それを超えるために悩んでいた時期だったと思いますよ、詩人(朔太郎)も。自分の第1詩集の時、(北原)白秋や友人に多くの文章を書いてもらったんです。だから、後輩にも頑張って書くんだ、応援するよと、寝ていても手紙にしたのでしょう。
 ―館長に就任して5年。文学館は前衛的に、チャレンジングに変わりつつありますね。
 地方に行って、文学館のような場所に行くことは100%ありません。興味が持てなかったのです。前橋文学館に来たのも講演会に呼ばれたときだけ(笑)。
 自分はパルコの仕事を十何年やっていました。パブリシティの打ち方、イベントのやり方、すごいんですよ。社会を動かす力が。一発当てると客がガーンとくる。
 ―そんな体験が生かされていますね。
文学館に呼ばれた役割は何なのか考えたとき、毎日お祭りが開かれている明るい場所、楽し気な場所だと思ってもらうのが仕事だと考えつきました。
 それで、詩の音読とかを始めたんです。黙読は理解する。音読は心に響かせるものだという。詩を役者に音読してもらったらどうなるか、そういうチャレンジです。自分は役者だったのでセリフのように読んじゃう。二十歳のころは下手だったけど、いまはうまいんですね(笑)。

朔太郎の世界を闊歩する生物たち
【さくたろうのいきものずかん】

萩原朔太郎の詩には100種類近くの生物が登場します。猫や犬、鳥といった身近なものはもちろん、海の生物や昆虫も出てきます。朔太郎が描いた生物を紹介します。ユニークな造形や自筆原稿、愛用品も展示しています。

・会 場 前橋文学館
・会 期 9月26日(日)まで、水曜休館
・時 間 9時~17時
・観覧料 一般500円(高校生以下無料、障害者手帳のある人と介護者1人は無料)


萩原朔美(はぎわら・さくみ)

1946年11月、東京都生まれ。寺山修司が主宰した「天井桟敷」の旗揚げ公演で初舞台を踏む。俳優の傍ら、演出を担当し映像制作も始める。版画や写真、雑誌編集とマルチに才能を発揮する。2016年4月から前橋文学館館長。

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