【聞きたい福田さん5】
アップルV字回復の鍵、20万円切りデスクトップ

前橋市が推進するスーパーシティ構想で、計画の統括者「アーキテクト」を務める福田尚久さん。アップルでは副社長となり、スティーブ・ジョブスとともに巨大企業に成長させた。日本通信の社長であり、今年4月から前橋工科大理事長の肩書が加わった。4つの顔を持つ男が故郷の明日を劇的に変える。

初めて20万円を切るデスクトップ
アップルV字回復の立役者

 

―アップルの販売店の大リストラですね。単純に店舗が多い方が売れると思いますが。
 98の方が3600より売れる確信がありました。営業マンを地方に行かせ、タクシーに乗って「一番おいしいラーメン屋さんに連れて行って」と頼みなさいと指示しました。それで、運転手やラーメン屋の店員に「パソコンを買うならどこ」と探らせ、地域一番点を選びました。
 98店舗からはマージンが11%では利益がでないと反発もあったが、3600店舗で売っていたのを絞るのだから絶対に売れると説得しました。
―結果はどうなりましたか。
 iMac(アイマック)だけでデスクトップの20%のシェアを占めることになった。普通に価格設定すると23万8000円になりましたが、マージンを下げたので17万8000円です。新製品で20万円切るのは初めてでしたので衝撃的でした。しかも、それまでオープンプライスだったのを定価にしました。
 USAの幹部と議論していたとき、スティーブだけはそのロジックを理解していたのです。展示スペースがあり店員がきちんと製品の説明ができる98店舗が一生懸命売った方が、パソコンに詳しくない3600店舗で売るよりはるかにいいと。かつ、「FukudaさんGo」とリスクも取ってくれました。
―大成功でしたね。
 しかし、その後が大変だった。98店舗以外の3600店舗すべてを敵に回したわけですから。公正取引委員会に駆け込まれ、立ち入り検査を受け、9カ月の間、私は毎日ヒアリングを受けました。公取のヒアリングの記録保持者だそうですよ(笑)。
 取調室にバインダーがあって、「パールハーバー」と書いてあった。「これ何?」と聞いたら「いや別に」と。よくよく考えてみたら、12月8日、パールハーバー(真珠湾攻撃)の日を立ち入り検査の日にしたんです。これ、いまでも頭に来てます。米国の代表的な企業であるアップルに対し、日本の公正取引委員会が奇襲の日にするコードネームにしたわけですよ。
―公取の判断は?
 最後は白。価格拘束の疑いがかけられましたが、定価より安く売りたい店があって、そこにも同じ価格にしなさいということなら拘束でしょう。でも、17万8000円で売るのも大変で、どこも安く売ろうとしなかった、というかできなかった。それが認められたわけです。99年ですね。
 結果として、約束通り3四半期で黒字になった。それが自信になり、直営店につながりました。銀座をはじめ全国15くらいの直営店でやらせてくれと。アップルの直営店プロジェクトの始まりです。
―V字回復するきっかけです。ジョブズとはこれを機に親密な関係になったのですね。
 98年から99年にかけて、よく日米を往復した。最多で1年で72回、米国に入国した記録が残っています。だいたい、金曜日の夕方、成田を立つと、金曜日の朝、カリフォルニアに着く。そこからスティーブと一日レビューします。土曜日は朝から打ち合わせして、昼のフライトで日本に戻ります。日曜日の朝です。月曜日に出社すると、スティーブの優秀な秘書から電話があり、また来なさいと。そんな繰り返しでした。その後は向こうにベースを移して仕事しました。


米国を代表するカリスマ経営者
【スティーブ・ジョブズ】アップルの創設者の1人。NeXT(ネクスト)も創業、ピクサー・アニメーション・スタジオのCEOも務めたカリスマ経営者。アップルでは1度失脚するも復活、巨大企業に育てた。2011年10月、56歳で亡くなる。

福田尚久(ふくだ・なおひさ)

1962年7月、吉岡町生まれ。前橋高―東京大文学部卒。米ダートマス大経営大学院(MBA)修了。アップル本社で副社長に就任、スティーブ・ジョブズを支える。2002年、日本通信に入社、15年から社長。今年4月、前橋工科大理事長に就任する。

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